明治42年発行の「四日市祭案内記」より(意訳)
県社諏訪神社大祭は、9月25日に始まり、27日に終わる先例で、神社にて、25日に西町へ神輿渡御の式が行われた。26日還御(神社へ戻り)、27日三重県より祝いの出向があり、神社で式の後、昼夜神楽の音絶えず、最も殷賑であった。
4台の大山
町々にては、25日より町練りとなり、居町は勿論 隣町互いに練りあいて足揃えをした。26日は試楽にて竪町に祭礼委員の詰め所あって、その前を西より東へ練行先例にて、幕府時代には代官役所の前に桟敷を設けて役人の詰め所に充て、その前を練行した。当時これを御陣屋前といって特別丁寧に演技が為された。
27日は“神社前”といって諏訪神社へ練り込んだ後、浜田方面へ練行し終了とした。
椙山 満氏蔵
どの町でも“練受”と大書した掲示のあるところでは総て練り物を観ることができたが、26日だったら竪町、27日だったら諏訪神社で26ヵ町のすべての練りを観覧することができた。