昭和37年5月発刊の“商連ニュース”より 『四日市祭り』第1部
前回の“明治の風景”と同じく、稲葉桑太郎氏の記事を“旧四日市を語る”第五集に再掲載されていたものであります。
諏訪神社祭礼の“四日市祭り”は、京都の祇園祭には及びませんが、滋賀の長浜祭りや岐阜の高山祭と比べても見劣りするものではありませんでした。日取りは9月26日・27日ですが、古くは8月26日・27日と古老から聞いていました。8月といえば残暑がひどいので(旧暦?)、衣装や食べ物の関係で9月に変更したと聞きました。
四基の大山
江戸時代の練りは、漆塗りでコブラン織の立派なものでした。昔はこれを牽いて歩いたものですが、明治期以降は、電話線が邪魔になって引くことが出来なくなったので、祭礼当日、神社の社頭に大山二基を組み立て飾るのみでした。明治以降は、町民の財力の充実に伴って改造したり塗りなおしたりするものが多かったようです。
新田町の天岩戸
山車(小山)では、北町の紅葉狩、南町の上代人形、竪町の唐子遊び、西中町の甕破り、中新町の湯立て神事、四ッ谷新町の石橋、下新町の弁慶と牛若、新丁の菅公蟄居の状、蔵町の岩戸山、桶の町の大入道、中納屋町の唐子遊び、西袋町倭姫命、新田町の天岩戸、江田町大黒天袋破りであり、特に大入道と狸は人気がありました。つづく
桶の町の大入道
蔵町の岩戸山