昭和13年のラヂオ放送
昭和13年2月11日当時の『ラヂオ放送番組表』があった。岡野繁松先生は、「当時の様子がよくわかる」と紹介してみえる。(旧四日市を語る 第5集より) 昭和12頃 羽津駅での出征兵士壮行会 “四日市の100年”より...
View Article“ささって”???
“今日”の次は“明日(あした)”、“明日”の次は“明後日(あさって)”ですね。では、その次は、 東日本では、“や(弥)のあさって”(弥永(いまさか)弥は、たくさんの意)=訂正いたしました:正しくは“いやさか”デス 西日本では、“し(四)あさって”(今日が一・明日が二・あさってが三で・・四)...
View Article四日市祭り その15 今昔話⑫
昭和37年5月発刊の“商連ニュース”より 『四日市祭り』第1部 前回の“明治の風景”と同じく、稲葉桑太郎氏の記事を“旧四日市を語る”第五集に再掲載されていたものであります。...
View Article四日市祭り その16 今昔話⑬
昭和37年5月発刊の“商連ニュース”より 『四日市祭り』は、稲葉桑太郎氏の記事を“旧四日市を語る”第五集に再掲載されたものであります。その2 上新町の上代人形...
View Article四日市祭り その17 今昔話⑭
お祭りになると、日頃は静かな諏訪公園もズラリと露店が並び、多くの人で賑わっていました。 昭和27年 陶器製の大入道を求める人 山川菊生氏提供 四日市の今昔より...
View Articleレモン色の町クイズ①
故 辻俊文さんは、変わりつつある諏訪の町の記録を残していかれました。 昭和31年9月23日、それまで町の真ん中にあった“諏訪駅”は取り壊され、新しく近鉄四日市駅が完成します。 そこで、辻さんの残された写真の中から、これが何処なのかをお尋ねします。現在のどのあたりになるでしょうか? 昭和32年2月。諏訪の町に、雪が降りました。辻さんはカメラを持って、雪の降りしきる様子を写真に納めました。...
View Articleレモン色の町クイズ①の答え
雪跡を左から右へと歩いていく人々 右の建物を見てください 少し右によります ぐっと右に寄りました。同じ建物です。 「パーマの堀田」と、うどん・丼物の「水谷屋」の看板が右にみえます。 昭和31年、諏訪駅がなくなる直前の空撮です。このあたりから撮りました。近鉄線と湯の山線が取り払われた後には、広い空き地が出来ました。中央は、川村鉄工所です。...
View Articleレモン色の町クイズ②の答え
答えは、諏訪駅前にあった諏訪百貨店(通称スワマーケット)内部でした。 昭和35年12月20日に、辻俊文さんが撮られた写真で、ボタン屋さんの上では解体工事が始まっていました。 スワマーケットは、昭和20年6月の四日市空襲後に建てられたようです。諏訪駅は昭和17年に旧東海道沿いからここへ移設されました。当時、水野さんという方が、現在のキタオカさんあたりにお住まいで「旧四日市を語る」に投稿されています。...
View Articleレモン色の町クイズ③
辻俊文さんの記録では、昭和32年2月8日撮影とあります。一番寒い頃でしょう。雪の降りしきる中、辻さんがカメラを向けたのは、電柱に牛が繋がれている光景です。さて、どこでしょう? 当時、商店街の中を牛や馬が通りました。道路の真ん中には藁にまみれた糞が積まれていたものです。この年の9月15日から10月14日まで、市制60周年を迎えて記念行事が行われ、各店頭には提灯が飾られたと記憶しています。...
View Articleレモン色の町クイズ③の答え
昭和32年2月8日 左端に“ゼネラル石油 増田軍太郎商店”(羽根のついた白馬)の看板がわずかにのぞいています。この先に中央通りと1号線の四つ辻があります。 本日の風景 昭和42年6月1日辻さんが少し高い位置から撮っています。どこから撮られたのか?...
View Articleレモン色の町クイズ④
昭和33年3月15日の夕刻、辻俊文さんはカメラを提げて出かけました。「なぜ写真を撮られたのですか?」の質問に「諏訪地域の風俗を残したかった」と答えてみえます。戦災による空襲からの立ち直りで雑然とした諏訪の町は、精力的なエネルギーにあふれた町でもありました。さて?何処でしょうか? ヒントは、お店の看板と突き当りの路地です。
View Articleレモン色の町クイズ5
第5回記念の問題はチョトむつかしいのです。 分かる方はみえないと思いますので、ヒントです。四日市祭りの当日。久六町の大名行列が通ります。ズーッとバックして、辻さんはカメラを構えました。
View Articleレモン色の町クイズ⑤の答えは?
右に“精養?”のごみ箱があるところから“精養軒”を正面から撮ったものです。 右が北になります 諏訪駅を降りて南へ路地を抜け“白揚書房”前を通ると、左に“あかもん”と“精養軒”の所に出ました。右“万惣食堂”その向こう側には“諏訪劇場”が建ちます。 右(西)へ進んで、辻写真館さん前からもう一度“精養軒”を見たのが次の写真です(昭和35年7月26日撮影)。...
View Articleレモン色の町クイズ ⑥
昭和35年5月13日、“酒とビール 神戸屋”の暖簾が初夏の風に揺れます。お好み焼の提灯も下がっています。暖簾から営業中と判断できますので、昼はお好み焼屋で夜は飲み屋になるのでしょう。5坪ほどの小さな店。経営者のおばさんでしょうか?二匹の犬がじゃれつきます。さて、ここは何処でしょう? 鉄人28号プラモデルが380円で新発売!...
View Articleレモン色の町クイズ ⑥の回答は?
さて、写真の位置は何処か?ということですが、辻 俊文さんはこう説明してみえます“港楽園入り口(現 四日市飯店)”。ゼンリンマップの昭和43年版に“神戸屋”があるかと探してみましたら、ありました。 現在の神戸食堂跡 東向き「世界の山ちゃん 四日市店」になっています 昭和35年5月13日撮影 ところが辻さんは(現 四日市飯店)と書いてみえます。地図を見ると“神戸食堂”は、ひとつ西の通りになっています。...
View Articleレモン色の町クイズ ⑦
辻俊文さんの写真ですが、この時点でコピーしかなかったので、あまり鮮明ではありません。が、右の窓にかかるすだれに大きなヒントがありました。さて、どこでしょう? 図書館にてお借りした本“失われゆく仕事の図鑑”永井良和・高野光平他 共著...
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