さて、写真の位置は何処か?ということですが、辻 俊文さんはこう説明してみえます“港楽園入り口(現 四日市飯店)”。ゼンリンマップの昭和43年版に“神戸屋”があるかと探してみましたら、ありました。
現在の神戸食堂跡 東向き「世界の山ちゃん 四日市店」になっています
昭和35年5月13日撮影
ところが辻さんは(現 四日市飯店)と書いてみえます。地図を見ると“神戸食堂”は、ひとつ西の通りになっています。
昭和43年のゼンリンマップより
神戸屋さんが何処にあるのかは、ま、どうでもいいことですが、気になるのは“港楽園入り口”の文字です。後楽園は“春告園”と並ぶ諏訪の二大赤線地帯のひとつです。“売春禁止法”が発令されたのは昭和33年、公娼は廃止され、この地域は飲食店街に変わりました。
昭和31年の諏訪駅ホーム 西からの空撮
中日新聞さんの昭和31年の空撮から、それらしき建物が伺えます。小さい丸が“神戸食堂”の角で、右の大きな丸が“港楽園”であろうかと想像します。
現在の共栄ビル 向かいがロッポニカです 東から西向きに撮影
現在は、飲食店が入る“共栄ビル”となっています。幼少のころ、我が家から西へ進むと龍宮城のようなネオン輝く建物の前を通った記憶があり、港楽園はそこに存在していたのでしょう。おマセさんだったはずです。