“通りがかりさんからコメントをいただき、潮呼橋 跡へ出かけてみた。
Sさんからお預かりした、四日市商業会議所発行の明治28年2月7日発行の鳥観図。丸印が潮呼橋の位置
朝まで降り続いていた雨が上がり、午後になると薄日が差すようになった。思案橋跡モニュメントから、路地を北へ200メートルほど進むと、納屋ポンプ場南隣に細長い小さな公園があった。
この先思案橋
背丈ほどの石柱に“潮呼橋と彫ってあった。感激でアリマス
後ろを見ると穴が二うあいていた。橋の一部分なのだろう。あまり大きな橋ではなかったようだ。
北側隣りには大きな納屋ポンプ場が建つ。
公園に立つ石柱は、23号線を走るトラック群の喧騒の裏にひっそりと佇んでいた。通りがかりさん、ありがとうございました
「潮呼橋」しおこばし??・・何と読むのか? 明治28年には思案橋がなかったことになる。
<付録> GGシニアさんが、辻さんの残された昭和30年代の諏訪の町をカラーにしていただきました。