阿瀬知川(畦地川)は浜田村の田畑にとって、また 四日市の下水の役割としても大切な川でした。では、その源流は何処からでしょうか?
明治44年の地図を見ると、旧東海道から突然現れ、まっすぐに東へ流れ出ています。
逆にさかのぼることにします。
5番 末広橋の処にあるポンプ場では、強制的に阿瀬知川の水を昌栄橋から運河へと送り出しています。
4番 JRをくぐります。
3番 浜田から流れてくる川と、四日市の市街地から流れてくる川とが,合流する地点です。鯉が泳いでいて、ゆったりとした時間が流れています。
2番 浜田方向から流れてくる川。東漸寺さんがあります。手前で直角に曲がっていますが、昔はまっすぐ流れており、旧東海道を横断していたそうです。そこの橋を境に、南側を橋南と呼ばれています。
1番 久保田町にある「窪田神社」。堤防の下に祀られていますが、取水地点であることに対して神社が作られたと想像できます。
神社の西にある取水口です。きれいな水が流れていました。
堤防の上には記念碑が建っていました。
ここからと、松本村の方からも阿瀬知川に流れ込んできています。