ぶらり四日市 その十九 西駅?おかしい?
国鉄西駅の歴史を写真で追ってみました。昭和2年伊勢電鉄の駅として、国鉄線路の西側に新駅ができました。それにしても古そう・・・ 昭和5年。熊澤ビルの屋上から見た新西駅。駅へ入って右が伊勢電鉄のホーム。陸橋を上がると省線でした。 昭和6年。入口左にしゃれた電話ボックスが建っています。 確か昭和11年とありましたが、前の舗装が出来ていません。調べてみます 戦後、新しく建て直された西駅...
View Articleぶらり四日市 その二十 三和商店街
GGシニアさんが、番外編の第3話を立ち上げていただきました。お楽しみください! (97) 「四日市街歩き番外編/第3話、昔を深掘り、映画館など」 - YouTube...
View Articleスワの街から 春の東海道まつり
下総人大明神様からコメントを頂戴つかまつりました。昭和5年ごろの西新駅にホームへ渡る跨線橋がないのではということで、よくよく見ました。よくよくみると駅舎の後ろに斜めの線がみえます。多分階段ではないかと思いました。自信は・・・・・・・・・ありません。...
View Articleぶらり四日市 その二十一 昭和7年の空撮
昭和7年の空撮でゴザイマス。昭和7年4月10日夜半、文豪 丹羽文雄氏が崇顕寺からこおりを担いで家出をされた年です。前に、菜の花が満開の暗闇を駅へと走ったと書きましたが、意外に田畑は少なそうです。それよりなにより、丹羽文雄氏には、故郷の菜畠が印象に残ったのでしょう。父親の顔と共に・・・。...
View Article蒸気ロードローラーはタイムマシン
下総人様から、面白いウェブサイトのご紹介があった。 https://news.yahoo.co.jp/articles/25822cf74d69987804647802ee0d36b5f9414bc6?page=1 蒸気ロードローラーと蒸気トラクタであります。明治期に蒸気機関車に発達に後発して、蒸気動力車も開発されていった。その雄姿たるや、まさにタイムマシン。...
View Articleぶらり四日市 その二十二 浜田小学校校歌
またまたまち歩きシリーズがアップされました。GGシニアさまありがとうございました。 (101) 「たけちゃんの四日市街歩き/第5話、三滝橋まで旧東海道を歩く」 - YouTube 浜田小学校の校歌は、丹羽文雄氏による作詞でアリマス。で、二番三番の歌詞がおぼろげでしたので、アルバムを見たところ 昭和39年3月...
View Articleぶらり四日市 その二十三 阿瀬知川
阿瀬知川(畦地川)は浜田村の田畑にとって、また 四日市の下水の役割としても大切な川でした。では、その源流は何処からでしょうか? 明治44年の地図を見ると、旧東海道から突然現れ、まっすぐに東へ流れ出ています。 逆にさかのぼることにします。 5番 末広橋の処にあるポンプ場では、強制的に阿瀬知川の水を昌栄橋から運河へと送り出しています。 4番 JRをくぐります。 3番...
View Articleぶらり四日市 その二十四 采女城跡 ①
鈴鹿山脈の麓 宮妻峡谷を源流とする内部川は、足見川と合流して塩浜を抜け伊勢湾にそそぐ。その合流地点を采女郷と呼ばれ、古代の東海道が通る交通の要衝でもあった。その合流する地点の丘陵地に采女城の遺構が残されている。昨年4月に この城跡を訪れたが、今回はあすなろ鉄道 内部駅の延長として訪ねてみたいと思っている。 三重鉄道沿線案内より(大正期)...
View Articleぶらり四日市 その二十五 采女城跡 ②
采女城跡保存会 設立の経緯 地元では古くから、采女城は織田信長に滅ぼされ、落城の際お姫様が井戸に身を投げたという話が伝わり、子供たちは 城山のてっぺんに立っているノッポの木が揺れていると「お姫様が泣いている。怨霊で揺れている」といって眺めたり、また古井戸に行った貝家(現 貝家町)の人が 馬に乗った二人の侍に追いかけられた...
View ArticleYouTubeは健在!
YouTubeのサイトが四日市商店連合会“ええまち四日市”に移動したので、「なにしとんのやろ?」とご心配の方もお見え(自分を含めて)と存じます。GGシニアさんはせっせと配信中でございますので、ご覧ください。今後ともよろしく御願い奉りまする。 (102) 「古きを訪ねて/四日市・昔の映画トーク」 - YouTube (102) 「古きを訪ねて/四日市・昔の楽しみトーク」 - YouTube
View Article春の東海道まつり
GGシニアさんが 商連向きとは別にアップしていただいた Youtubeまたこちらも面白い 否 自分たちが楽しんだ動画でした ぜひお楽しみを (103) 「三重弁で喋る/じじいの面白トーク/昔懐かしい映画編」 - YouTube 今日は スワの街から 春の東海道まつり でした。 開催前の静寂 紅天さんのお笑いコント つづいて商業高校さんのマンドリン演奏 このあたりから人出が怪しくなってまいりました...
View Article春の東海道まつり 2日目
8日、午後1時30分の出演前 まだ 会場に皆さんが多くみえず ジョイマンがクイズに出演していただいたとき・・・ そして9日は 順調に進行していただきました よしもとさんも参加して 市民社会研究所のSDGsクイズ 四日市農芸高校ダンス部の皆さん 心から 楽しそうでした よしもとのサイコロ人間さん 右はヌートバーだそうです アンダーポイントさん テレビでヒットするまでには 長い道のりが必要です...
View Articleぶらり四日市 その二十六 采女城跡③
采女城落城時の有力な説に元亀三年(1572)とある。『日永郷土史』には、千奈美姫が井戸へ身を投げた様子が、やや物語風に書かれて残されている。...
View Articleぶらり四日市 その二十七 采女城跡④
GGシニアさんに 阿瀬知川の動画を作っていただきました。下手な解説でお楽しみください (108) 「たけちゃんの四日市町歩き/第6回、阿瀬知川の源流を目指して」 - YouTube 後藤采女正(藤勝)亡き後、二人の後継者が判明しています。 長男 忠基は、織田信長に帰属して、天正12年(1584)対秀吉戦争において加賀井駿河守に加勢して、加賀井城に籠城して討ち死にしています。忠基の長男...
View Article絵描き遊び考 ①
戦後の昔、“絵描き遊び”なるものを姉に教えてもらい、小学校でも得意になって友達に紹介したものです。次なる絵をご覧になったり、描かれたことがおありと存じます。 全国に波及しているコックさんの絵描き遊び。青森の内容が一番近くに感じられました。コックさん(青森) 京都のコックさんは少し違います
View Article伝説の一向宗 大橋館
本日の中日新聞より“いなべ大橋屋敷跡”として、鈴鹿セブンマウンテンの北の端、藤原岳山頂にあった大橋屋敷跡のガイドマップ記事があった。信長天下統一に最後まで抵抗した一向宗の屋敷跡でアリマス。...
View Article絵かき遊び考 ②
次は“タコ入道”。三重として掲載しております。 1.うなぎが三匹およいでて 2.石ころ三つころがって 3.雨がザンザカふってきて 4.小雨がしとしとふってきて 5.おっとたまげたタコ八べい 静岡ではこう歌ったそうです。 1.丸てん丸てん 三角てん 2.波に波に ふんわりと 3.雨がザーザーふってきた 4.せんたく物に 虫がつき 5.アッという間に タコ入道 “伝承遊び考...
View Article市立図書館 移転で50周年
久保田町にある図書館が、50周年を迎える。 駅前の新図書館構想も出来るには違いないが、持ち主の近鉄不動産との交渉が難航しているのでしょうか?近鉄側のお話しが、表面に出てこない。 2018年1月24日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)...
View Article大橋屋敷跡
プロローグ ことの始まりのブログは・・・ 2023年4月18日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp) イオン東員の方まで用事があったので、そこからいなべ市まで足を延ばした。市役所は新しく建てられていて、オープンでゆったりとしており、市の活気が伝わるような庁舎だった。 大橋屋敷...
View Article遊女の江戸
奉行所の役人某は、盗人を吟味取り調べるが、その男、悪い人間でもなさそうに見えた。初犯でもあったので、二度と強盗をするでないと言い含ませ放免にした。 下山 弘著“遊女の江戸”より 閑田次筆『日本随筆大成』引用資料...
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