采女城跡保存会 設立の経緯
地元では古くから、采女城は織田信長に滅ぼされ、落城の際お姫様が井戸に身を投げたという話が伝わり、子供たちは 城山のてっぺんに立っているノッポの木が揺れていると「お姫様が泣いている。怨霊で揺れている」といって眺めたり、また古井戸に行った貝家(現 貝家町)の人が 馬に乗った二人の侍に追いかけられた という古い話を祖母から聞いたなどの言い伝えがあり、地元の人には身近な存在でした。
采女城跡がある北山は、昭和20年代までは里山として地元住民に親しまれ、薪や肥料、また松茸や茸(きのこ)の採収地として利用されていました。しかし、昭和30年代以降、高度成長期に入ると山林の利用価値がなくなり、手入れされないまま松林は枯れ、根笹がはびこって足の踏み入れようもない有様となりました。
県内でも類をみない戦国期の城跡跡を残す貴重な遺産を整備、後世に残したいと、平成15年6月7日、采女城跡保存会が設立され今日に至っております。
「采女城主後藤家の興亡」采女城跡保存会刊 あとがきより