采女城落城時の有力な説に元亀三年(1572)とある。『日永郷土史』には、千奈美姫が井戸へ身を投げた様子が、やや物語風に書かれて残されている。
「采女城は内部城北山にあって、北山城とも言った。周囲に土塁や木作りの柵などを巡らし、中央に井戸も掘って水を得るようにした要害の陣地である。城主は藤采女正藤勝である。守る兵およそ500人。一方、攻める滝川一益の軍は、約6000という。一益は北方にある侍屋敷の方から進んで、その家に火を放ち、この時とばかり四方から攻め込んだ。城兵は上を下への大騒ぎとなり、或る者は善戦して倒れ、或る者は逃げた。
城主采女正は火中で割腹して果てた。10月17日頃か。奥方や姫や女どもは井戸に身を投じて亡くなったという。後世の人はこの古井戸から“夜な夜な女のすすり泣きが聞こえてくる”と語り伝えている」