「日露戦争が終わる明治の末期になると、政府は鉄道政策を打ち出し、全国に軽便鉄道ブームが起きた。」椙山 満著“ふるさと点描”より
「当時、自動車はなく、完全な道路もなかった時代、鉄道の開発は地域開発、農村振興のための急がねばならぬ国策の一つであり、多くの地域社会が鉄道の導入を熱望していた。時の鉄道員総裁 後藤新平は、全国の私鉄の国有化と合わせて、民間の投資と運営による地方の鉄道敷設に補助金を出しその発展を促した。明治43年“軽便鉄道法”が施行される。」
明治43年1月15日 三重軌道は四日市・室山間の鉄道敷設を願い出る。(たいじゅさんの持ち込まれた資料から)そして、この時は前回ご紹介の通り“諏訪前道路に軌道布設の件”とある。この段階では、諏方神社から東へ、諏訪新道・沖ノ島・四ツ谷の道に敷く予定だった。
ところが、明治43年3月18日に四日市鉄道から三重軌道の申請コースと交差するので危険であるという申請がなされている。
たいじゅさん貴重な資料をありがとうございました
三重軌道の諏訪新道コースを変更していただくか、クロスする地点を共有にして立体交差を避けたいと願い出ている。どうする?三重軌道さん?
つづく