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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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ぶらり四日市その四十八 三重軌道敷設計画

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GGシニアさんが、昭和11年の1枚の絵葉書の謎をアップしていただきました。

(1) 「四日市の写真で/昭和11年にタイムスリップ/ 四日市港沖には・・・!!」 - YouTube

さて、たいじゅさんからお預かりした貴重書類です。

明治42年10月、三重軌道敷設にあたり取締役社長の九鬼門七氏は、当時の総理大臣 桂 太郎氏と県知事宛てに申請書を出しています。たいじゅさんは、その時の書類を取得されてみえたのです。驚きです!何という根性でございましょうか。

右から②右から①

三重軌道敷設は、室山方面の糸、味噌、醤油などを四日市へ運び、港から地方へ輸出するのが目的でした。従って、始発は阿瀬知川沿いで計画されました。そこから、関西線の線路沿いに北へ、本町踏切の手前当たりに三重軌道四日市驛を設置、西へ折れて諏訪神社へ向かう真っすぐの道沿いに沖ノ島(郵便局あたりか)・諏訪(三菱UFJ銀行付近)。南へ折れて江田(サンシの東海道を挟んで東側あたりか)・鵜の森(崇顕寺の西側?ここには第五小学校=浜田小学校が建っていた)・浜田(ホテルキャッスルイン四日市の東?)・北赤堀(300メーターほど進んだところ)・南赤堀(現在の赤堀駅付近)から日永(ほぼ現在の場所)へ続きます。

右から④

右から③

日永から東日野(東日野2丁目7の堤防から西へ降りる枝道あたりか?)・後藤(現在の西日野バス停付近 それにしても なんで後藤なんや?)・西日野(現在の西日野駅よりも西。三叉路あたり?)・役場前(現在の四郷小学校前バス停より東、天白川に架かる八幡橋あたり)・笹野(白梅醸造の東角。役場前から300メーターほどしか離れていない)・製糸前(室山郵便局の少し東)・室山(後の終点八王子駅)と計画にあった。2~300メーター間隔で驛を造る予定だった。狭軌の線路を小さな機関車がゆっくり走るには、充分だったのだろう。この後レールは、水沢まで伸ばす計画もあったそうだ。たいじゅさん貴重な資料をありがとうございました。ロマンでゴザイマシタ。


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