風光明媚な霞ケ浦は、白砂遠く連なり青松その間に点綴(てんてい)して、東は遠く駿河三の山岳を望み、知多半島は呼べば応えんとして内海鏡の如く白帆の去来する様は一幅の画面に似たり。西は伊吹鈴鹿の連山、延々長蛇の如く、或いは白雪の皓々たる夕陽の赫々(かくかく)たる亦捨てがたき眺めなり。若しそれ月明の夜 長汀(ちょうだ=波打ち際)に佇み、オゾンに満てる海気を吸い曳々(えいえい)たる欸乃(あいだい=漁夫の舟歌)をきく時、誰か詩情を禁ぜざるものやあるべき。 名所案内より
図之左図之右
元海岸であった場所に、岩谷(訂正:巌谷)小波の句碑がのこる。“涼しさや 松こしに見る 伊勢の海” この句は昭和5年7月22日、明治期の児童文学界の第一人者、巖谷小波が富田の造り酒屋“酒吉”の三代目当主伊藤吉兵衛を訪ねた折、富田浜に遊び 松こしに見える浜辺の美しさに感動して詠んだものです。
それを富田保勝会が自然石に刻んで碑とし この地に建立しました。平成4年8月吉日
巖谷小波の碑