『わたしのふるさと 海の消えた町・富田 田村泰次郎』“家庭全科”昭和51年3月号より抜粋でゴザイマス
図書館でお借りしました おもしろい!
田村泰次郎(明治44年〜昭和59年)は小説家で、戦後“肉体の門”が映画化されている。富田村の生まれで、富田中学校(現 四日市高校)の初代校長を務めてお見えです。とは知らなかった!田村泰次郎のおとっつさんが校長せんせでした。アチコチさんに教えていただきました。陳謝!
嘗てこの川沿いに酒吉へと通じる辻があった善兵衛の橋 ここでうどんをいただきました
私の郷里は、三重県の富田である。海岸の町で伊勢湾に臨んでいる。富田に来て何より驚かせたのは、海岸の波打ち際に高い堰堤が造られていて、海との交流がすっかり断ち切られてしまったことであった。この堰堤は、名古屋と四日市を結ぶ名四国道と呼ばれる高速道路で、そこにはいつも沢山の車が、轟音をまき散らしながら走っている。
富田の鎮守様は鳥出神社である。(中略)この神社は私の生まれた宮町にあって、神社の庭は子供の絶好の遊び場所で、本堂の裏などは、ウッソウと巨木が茂っていて、昼までも薄暗かった。子どもたちは、よくその本堂の周りを一まわりして、肝試し(きもだめし)をした。「をしろんどをまわってくる」といった。つまり「うしろ堂をまわってくる」ということである。
大晦日の日暮れから、この庭では、大焚火が燃やされ町のひとびとは、この時神社にお詣りして、この焚火にあたると、つぎの1年間は、息災無事を約束されると信じている。焚火は夜が明けるまで燃え、初詣の人達を待つのである。
この神社へのまちのひとたちの信仰は厚く、まだ私の子供のときなど、浜が大漁でにぎわうと、その漁獲の一部が必ず神前に奉納され、本殿で打ち鳴らされる神官の神楽太鼓の音が勇ましく、私の家へもひびいてきたのを、いまもよく覚えている。
国土1号線沿いに片方だけ残る豊富川の標柱
宮町には、かなりの大きな川に見えた川(中央通りの下を流れ酒吉の後ろを流れている豊富川)が走っていたその川の両側はまだ堤で囲まれていて、外側は水田がひろがっていた。その水田には海からあがってきたイナ(ボラ)が沢山いた。イナをつかまえるために、子供たちは泥んこになって、水田のなかを走りまわるのであった。
酒吉の裏を流れる豊富川