戦前の四日市の中心は東海道の札ノ辻であった。ここから東が竪町通りで、続く中町通りと共にかつては四日市銀座とも呼ばれた繁華街であった。沿道には東洋バザーや勧工場(かんこうば)マーケットなど賑やかな商店が並び、鈴蘭燈がともり、銀座通りと呼ばれてからは四日市最初のネオンサインも輝き、夜も人通りが絶えなかった。写真は大正11年文化展覧会開催中の夏の竪町通り。
大正11年8月、沖ノ島通りで“文化展覧会”記念として、紅白のポールで飾られていたが、竪町でも祝賀ムードいっぱいである。
2023年10月7日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)
大正11年8月の四日市地図。黄色の横線が東海道、縦線の右が浜往還(青の丸が竪町)、左が四日市驛(赤丸)がある新道通りになる。
再び 増田武夫氏の描かれた、御大典当時(昭和2年)の浜往還、竪町の地図を見てみる。左(西)に札ノ辻があり、西へ進むと竪町(立町)となる。勧工場(マーケット)、東洋バザーと並び賑わいが伝わってくる。この先の西中町にも大正バザーがあった。四日市驛が出来て、街の中心は新道通りへと移りつつあったが、まだまだ浜往還は銀座通りだった。
昭和60年の竪町(現:中部)
今回の写真も“文化展望四日市 第3号 昭和60年刊”椙山満先生の投稿である。