笠置シズ子の買い物ブギ!
昭和25年、服部良一の、上方落語「ないもん買い」からヒントを得て作られた“買い物ブギー”は、笠置シズ子で大ヒットした。戦後の商店街の賑わいが伝わってきます。 今日は朝から私のお家は てんやわんやのおおさわぎ 盆と正月一緒に来たよな てんてこ舞いの忙しさ 何が何だかさっぱりわからず どれがどれやらさっぱりわからず 何もきっかずにとんでは来たけど 何を買うやら何処で買うやら...
View Article大正11年の竪町
戦前の四日市の中心は東海道の札ノ辻であった。ここから東が竪町通りで、続く中町通りと共にかつては四日市銀座とも呼ばれた繁華街であった。沿道には東洋バザーや勧工場(かんこうば)マーケットなど賑やかな商店が並び、鈴蘭燈がともり、銀座通りと呼ばれてからは四日市最初のネオンサインも輝き、夜も人通りが絶えなかった。写真は大正11年文化展覧会開催中の夏の竪町通り。...
View Article大正12年の尾上町
(1) 「えっ!!そんなの知らなかった諏訪のまち/四日市の町歩き」 - YouTube GGシニアさんがまたまたアップしていただきました。今回は、私の知る限りの赤線地帯のお話・・・ですが、なーんか訳ワカラン動画になりました。ご容赦ください。 さて、四日市四大事業で完成したばかりの広い道路。尾上町から南へと伸びております。 昭和60年12月発行の“文化展望 四日市”から、...
View Article昭和20年頃の幸橋
文化展望四日市 第3号 昭和60年12月10日発行より椙山先生の投稿 芝田のあたりから浜田を流れて昌栄町で海に出る阿瀬知川。これは幸町の南方で、その阿瀬知川に架かる幸橋の昭和20年代のある朝の風景。草が生い繁る川岸の堤の上をすれ違っていく人。静かにゆっくり流れる川面には朝もやが立ち込めている。...
View Article四日市で空前絶後!
国産振興四日市大博覧会は、昭和11年3月25日から5月13日までの50日刊にわたり開催され、入場者数が124万人あったという(当時の市の人口6万人)。今なら660万人の来場者で埋まることになる!これは空前絶後であります。この博覧会は時の市長である吉田勝太郎が強力に推し進め、予算は市の一般会計に匹敵する70萬円を計上、空前の大博覧会となった。 駅前に建てられた歓迎門...
View Article外人ショゥは大人気!
国産振興四日市博覧会で特に人気があったのは、外国人による余興場で繰り広げられる様々な奇術、怪演、百尺の梯子から燃えるタンクに飛び降りる米人ビー・カイル嬢の大冒険、それにエキゾチックな歌や踊りであった。また四日市や県下各地の芸妓の舞踊や郷土芸能も観客の目を楽しませてくれた。 当日のチラシ その他、太鼓腹のエジプト人...
View Article時代を反映した大博覧会!
博覧会のポスター 外人ショゥにいかに力を入れていたかが分かります 会場内の図 スケールの大きさが分かります 生鯨館は 残念ながら死んだ鯨しか展示できませんでした 上部中央に 救護所(後に市民病院となり、その後板ガラスの病院に)と商工会議所・公会堂が並びます 左に野外演芸場・子供の国・外国余興館と並びます 満州館 建物の大きさが伺い知れます 海航館と朝鮮館 台湾館 時代を反映しています
View Article善光寺仁王門前の急カーブ
文化展望四日市第4号 椙山 満氏著 四日市の今昔④より 津新地-四日市間を走る伊勢電鉄が昭和4年1月桑名へ延長する際、四ツ谷町 善光寺門前にこしらえた半径100メートルの名物急カーブ。今、五両連結の下り急行電車が仁王門の前を右に傾き、車輪を軋ませながらゆっくりと四日市駅(国鉄)へ入ってゆく、昭和31年9月15日の風景。...
View Article納屋運河の眺め
昭和9年の納屋運河 蓬莱橋の上から眺めた昭和9年の納屋運河。向こう岸の団平船(だんぺいせん)が並んでいるところが、昔の二代目四日市湊の船着き場の跡。その浜には浜往還一本松と呼ばれる巨松がそびえて旅人たちに緑陰を与えていた。右方に見える開栄橋の脇には駐在所と半鐘のついた火の見櫓が立つ。中央の白亜館は四日市郵便局。半鐘の向こうに煙を吐く煙突は東洋紡績。昭和62年12月発行 文化展望第5号 椙山満著...
View Article白亜の建物電話局
またまたYouTubeでGGシニアさんにアップしていただきました 大博覧会上空を飛行するタケちゃんマン!ここまでできるとは!恐れ入るばかりです ご覧ください 否 ごらんくさい! 「87年前に開催された凄い博覧会/タイムスリップ四日市」 - YouTube 昭和10年の四日市電話局 文化展望四日市 第5号 昭和62年発行...
View Article博覧会の会場は何処に?
戦災からの立ち直りを見せた昭和27年3月25日から4月23日まで約1か月間、整備途中の中央通りを会場に“講和記念大博覧会”開催され、前売り券を含め約80万人の来場者でにぎわった。...
View Article省線という響き
下総人さまから 昭和24年に省線は無くなり 昭和27年に国鉄となったことを知りました。講和記念博覧会資料では 確かに省線とありますが(四行目) 無くなって間がない時 思わず使ってしまったのでしょう 省線 かび臭いけれど 心地よい響きです 11月18日と19日は 四日市でB-1グランプリ東海北陸大会が開会されます コロナ禍でようやく開かれることとなり 我ら諏訪前もイベント協力をすることになりました...
View Article三滝川に架かる三瀧橋
広重が“東海道の四日市”として描いた天保初期の三瀧橋は、風にそよぐわびしい土橋、それが明治10年には板橋となり、 大正10年6月には新しい鉄構橋に生まれ変わった。石の親柱にはそれぞれシャンデリア風の白い球状電球が四個と、両側の欄干にはガス燈型の白い球状電球が14個灯されて、夜の三瀧橋を四日市の名所の一つとして一躍祭り上げた。文化展望四日市 椙山先生投稿...
View Article大井の川と書いて おいのかわ
本日公開!狂ったこともしゃべっております ま、さしずめ間違い探しィ! (1) 「空襲のおかげでできた通り/四日市中央通り」 - YouTube 今回の主人公は中央通りでゴザイマス、それと、お人形さんも主人公です 製作苦労譚「糸にハリ通すなんて?久しぶり。見えへーん!」 昭和6年当時の大井の川 文化展望四日市 椙山満先生の「大正6年の築港風景」です。...
View Articleおばけ暦
旧暦?“昭和の消えた仕事図鑑”を見ていたら“おばけ暦売り”というのがあった。 昭和の消えた仕事図鑑 角川ソフィア文庫より 明治5年、それまで使われていた旧暦(太陰暦)が、西洋に合わせた太陽暦(グレゴリオ暦)に変わった。このため明治5年12月2日が明治6年1月1日になった。12月に入って“ヤァ師走!”と思いきや、突然...
View ArticleB-1グランプリ 東海 北陸大会開催
11月18日・19日の二日間にわたり B-1グランプリ東海・北陸大会が 四日市の三滝川通りを舞台に 開催されている。来街者10万人が見込まれているが 初日 既に7万人を超え 目標 達成は時間の問題でアリマス。 わが表参道スワマエ商店街でも 観光協会様と四日市商店連合会様の協力をいただき オレンジ田中君の橋渡しで よしもと興業から サバンナ八木さんをお招きすることが出来た。八木さん...
View ArticleB-1グランプリ四日市大会 大盛況!
今回は 神社入り口の鳥居南側に立つ 石碑の謎に迫ります とんまトリオが揃って登場 「四日市の謎/動いた諏訪神社の碑」 - YouTube 予測を大幅に上回り 倍以上のお客様で賑わった 四日市大会 昨日は成功の喜びでいっぱいだった
View Article雪の三瀧橋
「雪の三瀧橋を望む」昭和5年2月12日 故伊藤文太郎氏撮影 昨夜から降り始めた雪が、朝になってもなお降り続く。東海道に沿った南川原町から眺めた三瀧橋は白一色。傘の上にも雪。寒そうに身をくるんだ女性が一人、轍(わだち)の跡を足音もなく近づいてくる。近頃(平成3年)は暖冬つづきで、2月でもめったに雪景色を撮ることが出来なくなってしまった。(椙山 満 文化展望四日市 第8号より) 平成3年頃...
View Article関西鉄道(かんせいてつどう)四日市工場
大正3年の四日市工場全景 明治23年7月、浜田(西末広町)に建設された関西鉄道四日市工場は、文明開化の最先端をゆく近代的機械工場として名を轟(とどろ)かせたもので、同年12月に四日市―草津間が開通し、関西鉄道の車両の整備から新造まで一手に引き受けていた。明治40年国有化後、鉄道省の車両工学の鬼才として一世を風靡(ふうび)した島安次郎博士はここの技師長であった。 鉄道技官時代の島安次郎...
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