広重が“東海道の四日市”として描いた天保初期の三瀧橋は、風にそよぐわびしい土橋、それが明治10年には板橋となり、
大正10年6月には新しい鉄構橋に生まれ変わった。石の親柱にはそれぞれシャンデリア風の白い球状電球が四個と、両側の欄干にはガス燈型の白い球状電球が14個灯されて、夜の三瀧橋を四日市の名所の一つとして一躍祭り上げた。文化展望四日市 椙山先生投稿
水谷百碩氏の絵からは、三瀧橋下は涼を取る人々で賑わい食べ物屋も出ていた。
立体写真になりますが!
戦前まで、ここに牡蠣船が停泊していて、風情があったと聞いている。
昭和63年の旧東海道に架かる三滝橋