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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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島安次郎と巖谷小波

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前に、関西鉄道の島安次郎と巌谷小波に接点があったことを、下総人様から教えていただいた ことをすっかり忘れていた。スンマセ―ン!

明治3年 和歌山県の薬問屋「島喜」に生まれた島安次郎は、明治27年四日市の関西鉄道に国有化される明治40年まで技術者として働いていた。一方、巖谷小波(いわたにさざなみ)は、明治期に活躍した児童文学者である。富田浜の海水浴場跡に巖谷小波の句碑が残る。

涼しさや 松こしに見る 伊勢の海   小波

この句は昭和5年7月22日 明治期の児童文学界の第一人者 巖谷小波が富田の造り酒屋「酒吉」の三代目当主伊藤吉兵衛を訪ねたおり 富田浜に遊び松こしに見える浜辺の美しさに感動して詠んだものです。それを当時の富田保勝会が自然石に刻んで碑としこの地に建立しました。 平成4年8月吉日

下総人様からお借りした 橋本克彦著「日本鉄道物語」講談社文庫にその出会いが書かれていた。

独逸学協会学校当時、島安次郎は巖谷小波という親友を得ている。同じ明治3年生まれの巖谷。家は近江水口藩の藩医で、医者に進まねばならなかったが文学の道に進む。その点、薬学の道に進まねばならなかった島安次郎と境遇が似ている。物静かな島と屈託のない性格の巖谷は、その性格の違いからかとても気が合い親交を深めている。

その二人が、社会へ出て四日市と富田という地に縁を結んでいることは、とても興味深いことである。

そして前回、三瀧川に架かる鉄橋をSLが走る椙山先生の写真を掲載させていただきましたが 2年前にその地を訪れていることを思い出しました。

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この時、川の南側 鉄橋の下を通じている人道用トンネルが、レンガ積みであったことから、明治期の構造物が今に残っていることを知りました。

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