昭和13年8月1日から2日にかけての集中豪雨で、堀木町北方の三滝川右岸堤防約100メートルが決壊し付近のヤマコ醤油工場が大破し、濁流は鵜の森公園、諏訪公園、新田町、江田町、沖の島町、更に関西線を越えて納屋地区に押し寄せ、市街地は水中に孤立した。諏訪新道や諏訪神社前は船が往来して炊き出しや救援物資を配ったりした。
1日から2日にかけての懸命な土嚢積み上げ作業で濁流が堰き止められた直後の写真。
この部分だけが幅広くなっている平成3年の写真
昭和13年マップより
当家は、神社前の新田町だった。おふくろの話では屋根の上で舟から食べ物をもらったことと、濁った水が徐々に透明になっていったという話を聞いた。という事は、水が引くのに何日もかかった事になる。夏でよかった。
グーグルマップ(現在)より
増水時には海蔵川へ水を逃がすようになったのはその後のことだろう。末永町を通るときこの橋を渡るが、幸いにも水の流れているところは見たことがない。本日、堤防を通りかかったら、川底の地ならしをしていた。