うえの様から、明治44年の記事を送っていただいた。
明治44年4月8日付 伊勢新聞より
四日市の新道開設 三重県軌道工事関係四日市市にては去る4日 市会に引き続き議員協議会を開き 室山に通じる三重軌道株式会社の線路に関係ある新道 及びこれを幹線とする数條の支道を開設するにつき 里道開設委員として家田、毛利、久志本、山中、熊澤、大平、稲葉の七氏を挙げ 6日午後1時より同委員会を開き参事会員列席の上 協議し道路敷地を踏査したるが 右は東海道 江田 橋北(はしきた)を起点とし 諏訪前通(すわぜんつう)と並行して善光寺脇を過ぎ停車場前に達する8間巾(14.4m)424間(763m)及び阿瀬知川境に達する7間巾(12.6m)312間(561.6m)にして 両線いずれも中央2間巾の軌道を敷設せしむべく 軌道の左右は各地主より無代上地し 線路敷地は三重軌道株式会社にて買収起工するはずなり 此の他 東海道筋阿瀬知川橋より約75間(135m)南方より人造肥料会社脇に通ずる5間巾(9m)469間(軌道なし)(844m)を設け (四日市鉄道か?)この新道3條を幹線として数條の支線を通じる予定にて 敷地は前記の如く全部地主より上地せしめ工費1万8千7百6十余円(架橋費を含む)は3分の2を大字浜田より支出し 3分の1を市より補助する計画にて構梁費及び家屋の移転料5千6百3十余円は肥料会社の共有地3反2分を売却して充当するの見込みなりという。
明治43年発令の「軽便鉄道法」に申請して、三重軌道株式会社が江田(えんだ)町から善光寺を通過して阿瀬知川(本社前)に達する線路と、もう1本、四日市鉄道かと思われるが東海道筋阿瀬知川橋より135メートル南から844m東へとある。
明治44年の地図には、鵜の森神社からまっすぐ東へ、計画が出来ているが、この線(阿瀬知川橋より南方75間?)も予定線だったのか?
昨日、図書で「読みたくなる地図 西日本編」海青社 を借りてきた。明治22年5万分の1の地図が掲載されていた。
これが明治22年か?と疑ってしまう。軽便鉄道法が敷かれたのは明治43年。
明治22年か?点線は予定線 水色は阿瀬知川
「みなみはまだ」と「ほりのき」の駅があるから、地図作成時期には「すわ」までの両線路は敷かれていた。「すわ」から「よっかいち」までのルートと、阿瀬知川(水色の線)河口までのルートが迷走しているようだ。内部まちかど博物館に伺うとその謎が解ける。行きましょう!行きましょう!