紡績工場から仏壇の引き取りを頼まれた。20年以上前の話しです。仏壇の幅は90cm以上あるということで、3人がトラックに乗り出かけた。工場はすでに操業は終えていて、建物は順次取り壊されていた。守衛さんも居らず、事務所に声をかけると、講堂に仏壇はあるということで、教えられた通り草の生い茂る空地を進んだ。
参考写真です
講堂は、木造体育館のようで、正面にステージがある。その真横に仏壇が据えられていた。ステージに向かって椅子が並ぶ。300席はあったか?舞台中央でお話や余興が繰り広げられたことと想像するが、すぐ横に仏壇があったとは?教育の一環だったと思われるが、親に対する恩か?工場で亡くなった女工さんを祀っていたのか?目線が集まるすぐ横にお仏壇が据えられていた。
講堂の両脇は一間半ほどの廊下になっていて、ボックス型の公衆電話が六カ所ほど配置されていた。ここから、この場所から、女工さんは故郷へ電話をしていたのだろう。硬貨をせっせと入れながら・・・。
かび臭く朽ちた講堂の中を見渡して、たくさんの女工さんが集まる風景を想像した。今考えると、写真を撮っておけばよかったと思うが、それは不謹慎か?