諏訪神社入り口の鳥居は、銅板で囲われているにせよ変わっていない。鳥居の右側に注目してほしい。
大正時代 山本正次氏蔵
軒に“水”の文字がみえる、縁台のようなものが出ているから やっぱり茶店だろう。現在と比べるとかなり軒が低いように見えるが、すこし下げられて建っているようだ。
この絵はがきでは、灯篭の右端に茶店の暖簾のようなものが突き出ている。前の写真と比較すると後退している。そして当時の灯篭の台は格段に高い。それにしても 奥に建つ 倉庫のようなものが気になる。
現在
灯篭の台を比べると30センチ近くは土盛りの為、上がっている。空襲後かなりの土が入れられたようだ。
前田憲司さんが拝殿に進む
戦争の為 金属類は供出となったが 供出されなかったものがある とおっしゃる
それは 天水鉢 だった。明治24年9月 の文字を発見。
左の天水鉢には、四日市茶問屋 とあり名前が連なる。四日市のお茶組合による寄付だろう。
こちらには 三井物産はじめ横浜茶問屋寄付とあった。四日市港から出される四日市のお茶は、全国でも名前が通っていたようです。
以前、雨の拝殿でお祓いをいただいていた時、天水鉢に落ちる雨音が、小学校の雨の校舎と重なって聞こえました。なつかしい!
↧