いよいよ諏訪神社にございます政成稲荷の神域に潜入いたします。初公開!ご覧ください!
「タケちゃんと前田先生の四日市諏訪神社探訪/第3話/政成稲荷に潜入」 (youtube.com)
たいじゅさんからお借りした議事録をご披露させていただきます。昭和2年に“踏切番を置いてほしい”と、三重鉄道?が市議会に申し出たものと思われる書類がありました。ところで、これは何処の踏切でございましょう?
『鉄道線路踏切番設置の義につき建議』昭和2年
近時、本市南方発展に伴い阿瀬知川堤に沿いたる4間道路(8,2メートル幅)は人馬の交通頻繁を来しつつあるも同線路中に省線鉄道(後の国鉄)の踏切ありて、従来通行上危険を感ずること屡々(しばしば)なり。現に最近において第二尋常高等小学校(現 浜田小学校)小学生の負傷を見たるあり。その踏切は四日市駅を隔たるわずか数間の個所にして通行の方向によりては汽車の進行を予知する能わざる地点につき、これが危険防止のための踏切番を設置せられんことをその筋へ請願せんとするにあり。請願書類の作成については議長において便宜をはかってほしい。 右建議候也
さて?この踏切の場所は何処だろうか?昭和2年の地図で探してみる。
昭和2年
阿瀬知川沿いの4間道路で省線と交差するところ。4間道路は、浜田小学校の通学路。ここで事故が発生?
大正11年
大正11年の地図を見ると、三重鉄道と四日市鉄道は、合同駅から直角にカーブして阿瀬知川まで伸びている。ここで船に移し替えられた。伊勢電鉄は、大正8年に高田本山まで伸ばしていて、翌昭和3年に諏訪駅から桑名まで延長する。
大正期の広告地図 ここには阿瀬知川までの引き込み線が描かれていない 描かれていないだけのようです
四日市鉄道は大正5年に開通記念列車を阿瀬知川橋梁に停めている。
下記のマップは大正5年3月。戦前までは、東海道筋に浜田小学校があった。鵜の森神社からまっすぐに伸びる通学路。これがどうやら4間道路らしい。まっすぐ東へ進むと阿瀬知川と合流する。この地点に踏切番の必要性を申請しているようだ。
① 四日市鉄道の諏訪驛 ②三重鉄道の諏訪驛 ③合同驛 阿瀬知川へ引き込み線が伸びる 南絵と伸びる2本の線路は 伊勢線と省線 東へは湊へつながる
間違っていたら オセーテ