各町に祀られていた“山の神”が諏訪神社の山津見神社へ合祀されたことを、YouTubeで前田憲司さんから聞いた。
「タケちゃんと前田先生の四日市諏訪神社探訪/第2話」 (youtube.com)
岡野繁松先生の“旧四日市を語る 第六集”で伊藤禮太郎さんが「山の神」の思い出 として書いてみえたので紹介する。
桜 観音堂の山の神
「山の神」とは、毎年6月30日の夜行われる、日永の大宮神社の夏越しの大祓いの時に行われた子供の祭りのことです。戦後も神社の境内でささやかに行われておりますが、戦前はそれは楽しいお祭りでした。
「山の神」は何処にでもよくある神様ですが、辞書によると「民間信仰では、秋の収穫後は近くの山に居り、春になると下って田の神になる」とあります。
「山の神」の祠(ほこら)は、普段 大宮神社に預けてありますが、6月30日には町角にお出ましになります。祭りの当日が来るまでの準備が、また楽しいものでした。1か月前から祭壇に飾る掛け行燈に絵を描きます。子供たちは、1軒の家に集まって絵具で武者絵や漫画、兵隊さんの絵を描きました。出来上がった絵は、保存されます。いよいよ祭りの日が近づきますと大宮神社に保管されていた掛け行燈を出してきて、古い絵をはがし川で洗います。こうして 新しい絵が張られた掛け行燈が準備されるのです。
乾谷の山の神
当日になると子供たちは近所から縁台をかき集めてきて、路地一杯に積み上げて山の神様の祠を造ります。まわりに幕を張り行燈を飾って、その中で子供たちはお茶やお菓子を食べながらおしゃべりをして楽しみます。入口に賽銭箱を置いておくと、近所の大人がお金を入れていくので、それでまたお菓子を買いに走りました。鉦や太鼓を借りてきて、へたくそなお囃子もしました。夜になると本番です。行燈には火がともされて夜遅くまでにぎわいました。
このお祭りは現在(平成7年)も続いていますが、戦前、東海道沿いの家々には「つくりもの」という展示があって、様々な日用品や農作業の道具などで、大蛇やガマなどのいろいろな動物がつくられ、家の前を通る人々の目を楽しませたものでした。