前々回掲載の“おふくさん”。山口守さんが“旧四日市を語る”の第6集に投稿しておみえの、明治期から大正期の頃の口伝話。賑わう四日市宿から一筋路地に入った 比丘尼町の長屋に住む芸者上がりの女房や、伊勢の古市から戻ったという女お咲さんの登場やらで、当時の雰囲気がよく出ています。
今回は、“おふくさん”の前編になります。第5集に掲載のお話で、逆になってしまいました。陳謝!
このお話は 神社裏の庭地が 保公園となって市民に開放される前でしょうか?後でしょうか?明治44年の地図です
私が小学2年生の頃、家は南町にありました。友達と人力帳場の前で年配の車夫さんの話をよく聞きに行ったものでした。
車夫さんが若い頃、夜遊びの帰りに、よく牝狸の“おふくさん”に出会ったそうです。日中は狸ですが、夜になると女の姿になって表通り(東海道)に姿を見せました。深酒をして帰る若者が、北町から四ッ辻(札の辻)へ鼻歌を歌いながら千鳥足であるいていると、そこへ「ついておいで ええとこへつれてってあげる」と“おふくさんが丸髷に振り袖姿で現れます。まさかお狸さんとは知らず、後をついていくと、一軒の銭湯の前に出ました。
「ここは 私の知り合いの お風呂屋さんや 遠慮せんと入っといなはれ。酔いが取れて気持ちよう家へ帰れます。」と優しい声をかけ「ほなら 気ィつけて」と云うなり何処かへ行ってしまいました。
「ここは何処や?」と若者は暖簾をくぐってはいると、客は一人もいない。裸になって湯船につかると 体の芯まで気持ちよく うとうととしてしまいました。若者は あたりが明るくなって目を覚ますと、なんと池のようなところに裸で首まで浸かっていました。やっとのことで這い上がり、ここは何処やろと、あたりを見回すと、お諏訪さんの本殿の裏がみえます。つづく
提供:水谷宜夫さん