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「公園と幼稚園と赤線が混在した町/四日市を掘り起こし/第5回」 (youtube.com)
昭和30年初期の早朝 「あさ~り しじみよ~え」自転車の後ろに木箱を積んでシジミ売りが回ってくる。「こうじみそ~ きんざんじみそ~ からぁしづけぇ ふくしんづけぇ~」麹みそ屋さんは垂坂から やはり自転車の後ろに引き出しの付いた箱で売りに来る。シジミは升に入れて 棒でさっと均す。みそは量りで売る。おっかぁは 売り子の声を察知して 絶妙なタイミングで表へと買いに出る。その横を牛乳屋の自転車が ガチャガチャいわせながら通る。瓶入りの牛乳は 専用の針で厚紙の蓋を開けると忘れ難い匂いがしていた。高級だった。蓋は残しておいて、学校でパッパという遊びに使う。交代で息を吹き掛け 表と裏が重なったら2枚とも頂きとなる。盛んになると 青木君は未使用の蓋をどこからか仕入れて持ってきた。
弁当のおかずにする卵は近所の魚増さんへ買いに行く。冷蔵庫のない時代は当日買い求める。何故か魚屋に卵がある。仕出しの関係と思われる。おじさんは ぬかの中に沈められた卵を取り出し 新聞紙で作った袋に入れてくれる。
朝の時間が忙しく過ぎていく。冬、高岡からの銅器の荷は、リンゴの木箱に藁に包んで送られてくる。そのわらで焚火をする。焚火の中へお芋を入れたり石を入れたりする。石は熱いのでハンカチにくるんで登校する。ハンカチが焦げて真っ黒になった。
朝のひと時は いそがしく 過ぎて行った。