まず 辻俊文さんの残して行かれた1枚の写真からご覧いただく 辻さんは子供を撮るのが好きで 多くの写真を残して行かれた これもその1枚
小学6年生か?雨の中 辻さんに笑顔を向けて橋を渡ろうとしている 橋には“新栄橋”と描かれている。
では、新栄橋とは何処だったのか?写真から見ると それほど大きな川でもなさそう 辻さんの説明では 昭和32年相生橋付近とあった 橋の向こうにはアパートらしきものと 正面に煙突が見える
岡野繁松先生が 出された「旧四日市を語る」第1週に戦前のマップを出されている そこに「新栄橋」の文字を見つけた
下が北
開栄橋があった頃 その北に存在した小さな橋(開栄橋は現在もあるが 橋の役目ははたしていない)
これは昭和13年のマップ ここにも新栄橋の名前が見える この時代には 潮呼橋から大きく曲がって新栄橋から開栄橋に至っている
昭和53年になると 運河は埋立てられ 開栄橋のところまででストップしている
新栄橋は 納屋公園の端に あった