心の銭湯の神田さんが立ち上げた商店街活性化のティックトック。今回は益々グレードアップして 四日市商店連合会会長と諏訪神社の神主さんまでご登場!是非ご覧ください。
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三滝橋説、開栄橋説、そして長田橋説まで紹介してまいりましたが、岡野繁松先生はもう一つ挙げておられます。
・内部橋説:広重は東海道五十三次 三重川 を描いたあと内部川を描いている。
広重 内部川
内部川は三滝川ではない。しかし、三重郡・鈴鹿郡村々絵図(江戸時代後期)には三重川。水沢村・堂が山村野論絵図(1762)には水沢三滝川。水沢村・堂が山村野論裁許絵図(1764)では三ッ滝川と記載されている。広重は、内部川や杖衝坂、追分等も四日市として紹介しているので、内部川の河口を三重川として描いたかの可能性は残る。
この他、海藏川説や明治橋説等があるが、描かれた場所が、海に近いことは間違いないだろう。広重は、海岸筋・板橋・杭・葦・小舟・柳・帆柱・人家・野分、これらの題材が四日市にふさわしいと思って描きいれたのだろう。
広重 三重川
三滝橋にしては橋が小さい。長田(ちょうだ)橋では海岸から遠い。この辺りから岡野先生は、湊橋(開栄橋)ではないかと提案してみえる。絵の構成に工夫を入れた広重の“三重川”が、何処まで現実を取り入れたのか?さて、多くの“はてな”を残した傑作!安藤広重の“東海道五十三次”でした。
貞広 四日市