これは“いつ”“どこ”で写された写真だろう???
本町まちかど博物館の水谷さんからお預かりした写真である。随分古そう。外人と思しき人々が列をなして小舟に乗り込む。それを監視するかのごとき様子で眺める人々。これは何時、何処で写された写真だろう???
明治37年9月の日露戦争に、日本は勝利した。この時、ロシア兵捕虜を四日市も受け入れている。以前、国鉄四日市駅前にあった“欧州館”にロシア兵が滞在していた写真を見たことがあった。市制80周年発行の“四日市のあゆみ”に、明治38年8月露国の捕虜を四日市港から乗船帰国させるとある。“とき”はこの頃である。
明治44年の四日市港
捕虜の日本における待遇は良かったと聞く。彼らは相生橋を渡り高砂町を通って税関前から艀(はしけ)に乗り、沖合に停泊の帰国船で帰った、その時の様子である。港の対岸、稲場町側からも眺める人が立つ。しかし服装から見ても8月ではない、これは遅い便だったのか。左のしゃれた建物は税関と思われる。気になるのは、この先中央に燈台が望めるはずだ。燈台は、稲葉三右衛門翁の築港事業が一段落した明治17年から二年後の明治19年に完成していた。明治44年の地図には燈台の印がある。何処へ行ったのか?中央に建つ小屋に隠れているのだろうか。
当時の燈台を掲載する。北側から撮られたもので、それほど大きくなかったのかもしれない。
現在の旧四日市港 左に稲葉翁の彰功碑が見える。その右が高砂町