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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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リアル稲葉翁伝 その5

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<閑話休題> お金の換算は難しい。明治の1円が今のお金にしてどのくらいになるか?只し、生活事情が全く違うので、1円が2200円か3800円か6800円か2万円くらいの価値があるのか、ネットで調べても混迷の域は出ないのであります。

この絵の堤防は コの字型になっていて燈台が出来てないので年代が定まらない(燈台完成が明治19年、明治27年波止場竣工?)

明治17年5月5日、薫風翻る端午の節句。高砂町地先、荷上場前の広場で厳粛な落成式が挙行され、心ばかりの祝宴が張られ、四日市の知名人数百名が集まった。二間幅(約3.6メートル)百二十間(約217メートル)の防波堤、港内は水深九尺(2メートル70センチ)、埠頭周囲の延長は千二百尺(約363メートル)、埋立地の合計は一万四千坪(46200平米)、一次二次工事を合わせて二十万円(5億3千500万円?昭和31年時点で1円を2675円としているので、今はもっと高くなっているはずです)の大工事であった。<郷土秘話 港の出来るまで より>

工事現場に立つ稲葉翁 第一期事業の時か?

この二十万円を石原佳樹氏は明治期の県の土木費と比較してみえます。明治18年1年間の三重県土木費総歳出額は18万7418円でした。約1年分の土木費を使ったことになります。只、実際の工事に使われたお金は約6万7千円で全体の37%、残りは借入金の利息や裁判費用に使われています。

稲葉三右衛門翁は語ります「吾(われ)十万金ヲ費ヤシ而(しこう)シテ四日市ニ百万金ヲ利セシメハ、是レ四日市ニ九十万金ノ利ヲ余(あます)モノナリ」(私が10万金を使って、四日市が100万金の利益を得ることができれば、四日市に90万金の利益が出るのです)と。

昭和31年中央通りに立てられた稲葉翁像

しかし、実際に事業を起こすにはお金が必要でした。稲葉三右衛門は、金策に苦慮しました。稲場町と高砂町の地券を得ることでその土地を売ったり貸したりし、その利益で築港工事を進めています。また利用する船舶からの収益も見込んでいました。

ところが工事が始まると、次々に問題が発生し借入金が膨らみます。工事費だけではなく、利息や事業継続のための裁判などにも費用がかかりました。直線防波堤と稲場町、高砂町の埋立地で工事は終了しています。個人の事業としては、これが限界だったのでしょう。その後の工事は国・県・町による公共事業として進められていくことになります。

高砂町 旧四日市港に明治36年5月「稲葉三右衛門君 彰功碑(しょうこうひ)」が建てられましたが、

稲葉三右衛門君 彰功碑

その東側の埠頭突端に「波止改築記念碑」を見ることができます。四日市町が関西鉄道からの寄付を仰ぎ1500円で着工、明治27年4月に波止場は改築され曲線を描く防波堤が完成しました。

波止改築記念碑

しかし、四日市の築港事業は、先駆けとなった稲葉三右衛門氏の功績なしでは考えることができず、P.P.P.(パブリック・プライベート・パートナーシップ)という言葉どおり、公共事業を民間の資金や能力で補い実施した、稲葉翁はまさにその先覚者でありました。


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