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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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その昔の 富田と 鉄道と 人々の暮らし

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「ふるさと富田」から  近藤香代さんの特別寄稿を続けて掲載させていただきます。

昭和のはじめ、伊勢電が外宮から桑名まで走りました。その時も生徒たちは学校などどこ吹く風と、開通記念の電車に乗り放題。当時はお昼になると生徒たちは昼食に家に帰るのでしたが、午後になっても男の生徒たちが戻ってこないので不思議に思っていました。先生たちも大騒ぎです。そのうち、私たちにも男子生徒たちの伊勢参宮が伝わってきました。この頃の伊勢電にはよくストライキがあり、職場放棄で改札が無いのを幸いと、ストの解決時間まで乗り放題でした。しかし、解決時間がきたところからお金を取られるというハプニングがありました。いずれも、今の学校では許してもらえないようなのどかな出来事でした。

本町通り

小川鉄道大臣の時、伊勢電の熊沢氏が、揖斐・長良・木曽川の鉄橋を国鉄から払い下げを受け、ロッキード事件のような大騒ぎになりました。この鉄道疑獄で四日市銀行は倒産。この頃から世は不況に走り始めますが、鉄橋を買っておいてくれたので参宮急行になり、関西急行にそして近鉄になり今の発展につながってきたのではないかという思いがしないでもありません。

鳥出神社

当時の物資の輸送は鉄道が頼りでした。富田駅から漁網やタオル、素麵などを運び出し、入ってくるのは東洋紡の原綿でした。

小学校の修学旅行は、五年生が伊勢、六年生は奈良と決まっていました。修学旅行から帰って富田駅に着くと、駅の中は印入りの提灯がいっぱいで、何様のお迎えかとびっくりしたものです。提灯を掲げて口々にわが子を呼ぶ光景が思い出されます。

大正13年頃、富田浜海水浴場に夏季停留所ができました。 つづく

田村泰次郎と豊富川

2023年9月29日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街


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