近畿日本鉄道四日市駅 新駅がオープンした!
文化の諏訪駅に掲示してあった短絡後の新しい四日市近鉄駅の写真です 昭和31年オープン直前のプラットホームを南側から撮られた そして、昭和31年9月23日開業当日の駅前風景。自転車が並ぶ。2階は見物客でいっぱいだ。 31年9月23日、新駅に発着する上り名古屋行急行 懐かしい車輛です 下り大阪行き急行 昭和31年10月撮影でした 雨のプラットホームです
View Article富田のステンショに陸蒸気が来た!
四日市と桑名間に関西鉄道(かんせいてつどう)が敷かれたのは明治27年7月6日のことでした。東海道の桑名と四日市の間の宿(あいのしゅく)にあたる富田(とみだ)驛に、機関車が到着します。「ステンショ(ステーション)に陸蒸気(おかじょうき)が来たぞ!それっ みんな見に行け!」大人から子供まで見物人でごった返したそうです。 明治40年10月1日、関西鉄道は国有化されます。 赤の線が旧東海道...
View Article大正期の富田の町
先日のこと、富田に生まれ育ったNさんとIさんから昔日の富田についてお話を伺いました。 御大 お二人 写真掲載のお断りがしてないので お顔だけ隠させていただきました その折に「ふるさと富田」の本をお借りしました。そこに掲載されていた特別寄稿『富田いろいろ 思い出すままに』(近藤香代さん)は、大正から昭和戦前にかけての富田の町のゆったりとした風情が書かれていました。...
View Article富田浜駅に観光客が殺到!
特別寄稿『富田いろいろ 思い出すままに』(近藤香代さん)の続きです 大正13年頃、富田浜海水浴場に夏季停留所ができました。名古屋から沢山の人が来るようになり、富田浜駅になりました。その頃の列車は満員で、デッキにも人があふれ、あの大正ロマンのカンカン帽に着物姿の人々が列車にぶら下がるように乗っていました。機関車は黒煙を吐きながらあえぐように走っていたように思えます。 水谷宜夫氏提供...
View Articleカラー化で蘇る昔日の日本
明治から大正、昭和のはじめにかけて、日本は開国から近代化に向け懸命に急ぎ、結果 便利になったものもそして、失われたものもありました。まあ総じて“よくなったね”という結論になるでしょうが、年寄りは、失われたものへの失望感と愛着を感じることが多いと思います。本日は、ユーチューブの中から昔の動画を選びましたので、タイムマシーンをお楽しみください。 昭和31年の水谷仏具店前...
View Article進駐軍のキャメラは回る
二本のYoutubeにびっくりしています。時は1940年代とありますから戦中かな?戦後かな?と思い観ておりました。どうやら背景から戦争直後の昭和22~23年?ようやく復興の兆しが出てきた頃です。...
View Article映画 Tokyo Joe のロケがおかしい?
今日もとんでもなく暇だったので、ハンフリーボガードの「Tokyo Joe」 やっちまったぜ 主演ハンフリー・ボガートがまさかの映画〖東京ジョー〗 と、この背景を使って合成したという 1940年代のカラー化された映像が・・・ カラーで見る日本の1940年代 [60fps, Remastered] w/added sound 何処で使われたかどうかを比べてみました。...
View Article昭和30年代の諏訪界隈
戦争が終わった。Mさんは湯の山温泉を起点に板前の修業を積み、自分の店を持ちたいと願っていた。旧四日市を語る”第10集より 月に一度の散髪に湯の山から四日市の街へ出てきたMさんは、洋画が好きで西新地の三重劇場へ寄るのが楽しみだった。帰りにはスワマエの嶋口屋にうどんを食べに立ち寄った。嶋口屋は田舎風の店でお酒を頼むと二合徳利が出た。Mさんは「なぜか私はこの店が好きだった」と書いている。 らく天さん...
View Article昭和めもりーズ 三岐鉄道 富田駅
昭和という時代が、遠のいていく。昭和をテーマに、思いつくまま書いてみたいとエラソウニ思った。が、早速鉄道の壁にあたった。鉄道は生き物。過去の産物であっても動き続けておりました。 三岐鉄道 さて、“年表 四日市のあゆみ”を覗いていたら、「昭和3年9月...
View Article昭和めもりーズ 正露丸は征露丸
我々昭和の年代の者であれば“正露丸”を一度は呑んだことがあるだろう。どこの家庭でも、メンソレータムと正露丸は常備薬だった。独特の匂いは忘れがたい。図書館からお借りした“町田忍の昭和遺産100”から。 富士薬品の正露丸 ルーツは明治に遡る。最近は、大幸薬品発売のラッパのマーク“正露丸”で知られている。発売された明治期は“征露丸”と表記され“ロシアを征する”意味合いの名前だった。明治36年...
View Article昭和めもりーズ 映画看板描き
Webより ジョン・ウェイン 映画が全盛期だった昭和20年代後半から30年代にかけて、四日市のどこかしこに映画館があり、私の住まい周辺でも、東映の諏訪劇場・洋画の三重劇場・東宝の弥生館・大蔵映画のぼたん劇場・四日市日活・四日市松竹(宝塚劇場)・東映二流館の四日市劇場・本町の四日市東宝・洋画二流館のロマン座があった。 三重劇場 蒙古の嵐!...
View Article昭和めもりーズ おいしくてつよくなる
我が幼少のころ、10円のおまけつきグリコには、しっかりお世話になった。中身のキャラメルはとにかく魅力はオマケにあった。まず、オマケの箱を確認すると、中身のキャラメルを全部紙から剥いて、8粒程のキャラメルを一気に口へ入れた。 発売当時のグリコ おじさんの顔が怖いといわれた...
View Article昭和めもりーズ 床屋さんに行くと
床屋さんに行くと、中学生と覚しき男の子が終わるところだった。主人が愛想よく送り出す。男の子は黙って金を払い、一言も口をきかずに出て行った。“本があって猫がいる”出久根達郎著より...
View Articleおしっこのシミは解消!
巷では、やれ戦争だの物価高だのとあまり良い話題がない。当店の売上高並びに来客数も急降下。そんな中、昨日はちょっといい話に出会えた。だから元気を取り戻したかといえば、相変わらずであります。 〇...
View Article朝ドラ”あんぱん”
朝ドラの“あんぱん”。戦争時代を見るのがいやだと、おかはんは顔をしかめている。小倉連隊に入隊した嵩(北村匠海)は古参兵からの厳しい制裁を受ける中で、八木(妻夫木聡)上等兵のはからいによって救われ、伍長まで階級を上げることができた。仲介役となったのが「サヨナラダケガ人生ダ」で知られている“井伏鱒二の厄除け詩集”だった。...
View Article昭和めもりーズ グリコアーモンドチョコレイト♪
昭和30年発売のキャラメルの中にアーモンドのかけらが入った「アーモンドグリコ」でヒットを飛ばした江崎グリコは、東京タワーが完成した昭和33年2月に「グリコアーモンドチョコレート」を発売しました。これは革命的で、チョコレートのひと山になんと1個丸ごとアーモンドが入っているのです。お値段は、1列並んだ30円と2列の50円。お小遣いが10円だった時代、これは高度成長期にふさわしい高価なお菓子でした。...
View Article