特別寄稿『富田いろいろ 思い出すままに』(近藤香代さん)の続きです
大正13年頃、富田浜海水浴場に夏季停留所ができました。名古屋から沢山の人が来るようになり、富田浜駅になりました。その頃の列車は満員で、デッキにも人があふれ、あの大正ロマンのカンカン帽に着物姿の人々が列車にぶら下がるように乗っていました。機関車は黒煙を吐きながらあえぐように走っていたように思えます。
水谷宜夫氏提供
富田駅から浜まで50メートルくらいの両側には土産物店が並んでおり、浜には掛茶屋(かけちゃや)も出来て大変な賑わいでした。富田浜は、名古屋から唯一の海水浴場でしたので、お金持ちが競って別荘を建て始めましたが、その頃の面影は今も所々に残っています。
富田浜病院前
さて、明治40年に開場した“富田浜海水浴場”は、翌41年、関西本線富田浜駅が臨時停車場となり大勢の人で賑わいました。療養所を兼ねた旅館や別荘が並び長期療養できるなど特徴を持った海水浴場でした。大正10年地元の業者でつくられた“富田保勝会”は、人工滝等の施設の設置を行い設備を充実させるとともに「富田案内」や「蛤料理」などの小冊子を配布してPR活動に努めました。しかし、戦後になると石油化学工業の進出や伊勢湾台風の被害を受け昭和36年、閉鎖のやむなきに至りました。
JRとみだはま駅
今では、わずかに残る松並木が昔の良き富田浜の面影を偲ばせてくれています。昭和45年、JR富田浜駅は無人駅となりました。
つぎはJR四日市ィ~
霞ケ浦 富田浜 名所図絵
2021年6月29日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街
失われた海水浴場 霞洋館(かようかん)と三藤旅館