昨夜は、映画「野菊のごとき君なりき」鑑賞後に多数の方から感激の声が聞かれました。
実は自分自身、この古い作品の“泣けっ!”とばかりの押し付けに感情移入ができませんでした。Tさんからの感想を読ませていただき、私の思いの至らなさに反省いたしました。
「長年頑なに帰郷を拒んできた主人公(笠 智衆)が、今人生の終章を迎え、生家の墓参りのために渡し船の客となって、60年前の懐かしくも悲しい思い出に浸っているという冒頭のシーン。これは木下恵介監督のオリジナルでしょうか?
物語の舞台となったのは「富国強兵」の国策のもと、日清戦争の記憶も新しく、家制度も厳然と存在していた明治30年頃の信州の農村。暮らしの殆んどが手作業で成り立っていた(囲炉裏、提灯、ランプ、暦表、戦争の錦絵、信玄袋 等の小道具が効いていた)。
その中で、人々は皆、決められた人生(役割)をしっかり真面目に生きている。(おはぐろを施した地主の大奥様(杉村春子)は一家を取り仕切り、跡取り息子の長男(田村高廣)は田や畑でしっかり労働、長男の嫁は家事と農作業に精を出し、跡取りでない二男(田中晋二)は、しっかり勉強して上の学校に通わせて貰う。その他、作男、作女、牛方、船頭、人力車夫等)
作品にはこれと言って悪者は誰一人登場していない。ヒロインに辛く当たる長男の嫁にしても、子供(跡取り)を産めないという不安定な立場で、同情の余地もあるのかもしれない。
個人の自由が許されない世にあって、民子の祖母(浦辺粂子)の言った台詞が心に沁みる。「私の60年の人生の中で、他の事はさて置き、おじいさんと一緒になれたことが一番嬉しい。皆もせめて民子(有田紀子)の心の痛みを思いやっておくれ」木下監督は作品の中で、複数の女の人に自分の意見はっきり言わせているのが印象に残る。
カメラワークについて・・・・・本当に感動の連続でした。楠田浩之氏はその優れた感性と独特の構図を持って、日本の原風景をきめ細かく映し撮っています。野辺送りや花嫁行列も含め、各シーンがまるで一幅の絵を見ているような錯覚に陥りました。素晴らしい作品に感謝です」