第1部が終わって休憩中の様子デス マ いわゆるトイレ休憩でアリマス
昨夜は「文化の駅サテライトステーション事業・昭和キネマへの誘い・第6回 喜びも悲しみも幾歳月」を上映させていただきました。上映時間の関係上開始が5時だったことと師走の寒い日であったため、参加していただいた方は48名とやや少なかったように感じました。というのは贅沢でした。お越しいただいた方に感謝でアリマス。
早速Iさんから絶賛のご感想を頂戴いたしました。
男木島灯台(瀬戸内海)
「文句なしの「スバラシイ!」の一言です。
こんな映画が今みれるとは。国民一人一人が、今見なくてはならない映画だと思います。昔の映画は「教える力」がありました。木下監督一人の力ではなく映画はみんなの力を借りてできる「総合芸術」です。主人公夫婦も力まず淡々と、長い年月を自然に演じ、私にとって忘れられない映画の一つとして残ります。「映画の力」をみせつけられました。日本が世界に誇れる映画です。イヤー昔は良い映画が多かった!と思う今日この頃です。」
Iさん、ありがとうございました。昭和7年に新婚で観音崎灯台に着任した有沢夫婦と共に長女雪野が嫁いでいくのを見送り、小樽の日和山灯台に着任するまでの半生を観させて戴きました。まさに壮大なドラマである長い年月を、木下監督はうまくまとめの仕上がりでした。」
安乗崎灯台(志摩)
毎回感想をいただくTさんからです。
「主題歌があまりにも有名になり、今なお歌い継がれているこの作品。映画は今回初めて観ました。
私は約6年前に安乗灯台を訪れましたが、撮影当時の写真の新聞記事がパネルにして塔内に展示してありました。奇しくも12月20日の三重県のニュースでは、安乗灯台が“お身ぬぐい”の様に、清掃、点検、整備をされたと報じていました。
さて、木下監督は本作品で、原作、脚本、監督の三役を務めたわけですが、全国に数多く存在したという灯台と灯台守りについて、一体どの様な思い入れがあったのでしょうか。北から南まで十カ所以上でロケをし、戦時中に殉職した方々をも紹介していますね。
主人公の灯台守り夫婦は、戦前、戦中、戦後の激動の時代を真摯に生きてきた極く普通の人達です。(大多数の人達がそうであったように)
戦争を心から憎んでいた監督は、終戦の日の場面で、灯台を覆い隠していた草の蔓をバッサリ切り落とす演出をしています。そして「二十四の瞳」の中でも、やはり主演の高峰秀子に戦争の愚かさを語らせていました。
終盤、老境にさしかかった夫婦が二人きりの生活を再スタートさせる場面での佐田啓二の言った台詞「これからはいい事がいっぱいありそうな気がするよ」に、監督の思いが集約されていたと思います。
俳優陣について・・・・
◎夏川静江(宝塚出身)の身のこなし懐かしい日本女性の美しさを見せてくれています。彼女は「二十四の瞳」でも、大石先生の母親役で、見事な和裁の腕を披露していました。
◎中村加津雄は、兄 中村錦之助の陰で地味な存在でしたが、後年味わい深い役者となり、最新作の「利休にたずねよ」では、大徳寺の老僧を重厚に演じていました。
今回も寒い中、会場の準備と片づけをしてくださった、世話役の皆様には厚く御礼申し上げます。」
Iさんが、有沢夫婦の娘役だった女優 有沢正子について聞いてみえたので調べてみました。
ミス松竹に選ばれ入社した有沢正子は高峰秀子にそっくりの美貌で注目されました。1960年大映に入社。山内敬子の芸名で活躍しましたが、翌年大映を退社、名前も有沢正子に戻りました。その後テレビにも出演しています。結婚、離婚をしていますが、娘の篠山葉子は、1986年の「新喜びも悲しみも幾歳月」で、母と同じ灯台守の娘役に出ています。