図書館にて借入たる本、“「まち歩き」をしかける コミュニティツーリズムの手ほどき”「長崎さるく博」「大阪あそ歩」プロデューサー 茶谷浩治著 学芸出版社
私たちは、自分の住んでいるまちとの関係がとても希薄になっている。まちがよく見えていない。それはまちが他人の世界だからです。
現代人は、金儲けや恋愛、人間関係、健康、娯楽、場合によっては興味ある政治の動向や経済の変化など、自分の生活と密接した関係にあるものにしか関心がありません。他人のことなどなおさらです。まちも、他人の世界になっています。自分とは無関係なものであふれているまちに、自分のことで忙しい現代人が関心を向けなかったのも、当然でしょう。しかし、いま、まちに目を向けようとする人々が徐々に増えています。なぜでしょうか?
まちは、自分の日常に直結する身近な出来事のすぐ外側に広がる社会です。ですから本来は自分のことのすぐ次に関心が向くはずなのですが、現代社会はマスコミを発達させて、もっと遠い存在であった国内や世界の動向を、私たちと直結させてしまいました。
少し前までは「世間」とは、仲間や町内の人々との付き合い方が、私たちの判断基準となっていましたが、今は、世間に代わってマスコミによる「世論」が登場し、私たちの考えに強い影響を及ぼしています。テレビで報じる専門家の考えを盲目的に信じて、自分の幸せまで判断してしまうという、安直で気楽なマス社会が出現しました。
ところが、最近、大外枠にある政治や経済が大ウソをついているということが、私たちにわかってきました。年金のこと、消費税のこと、行革のこと、原発のこと、これらは私たちの幸せを何ら保証するものではないことに気付き始めたのです。
こうして、私たちは確かな手ごたえを、再び日常に直結する世間に求めるようになってきました。信頼できるのは、国や政治家ではなく、町内の人びとの率直な考え方ではないかと、少しずつ思うようになりました。
ここで“まち歩き”の登場です。まちは生きています。まちの歴史や魅力を掘り起し、そこに様々な仕掛けを組み込んでガイドブックを作ります。コースを歩くことは健康にもプラスになりますが。あくまでも健康のためのウォーキングではありません。ボランティアガイドさんとの会話のやり取りから、お互いにコミュニケーションの楽しさが生まれます。対照となる“まち”側にも、“見られる”ことにより努力することが生じてきます。掃除のひとつもやろうじゃないか!といったところでしょうか。
四日市中心商店街の“まち歩き”を、企画してみたい、そう思わせる本でした。
図書館様、ありがとうございました。