吉村英夫先生をはじめ、小津安二郎記念碑建立会皆様のご努力により、2015年3月、津大門・観音寺大法院境内に「小津安二郎記念碑」が建てられることとなりました。なんと匿名希望を含む全協賛者は1040名。多くの方々が建立に協力されました。
●副石
小津安二郎(1903~63)は「世界のOZU」として評価の高い映画監督である。
母方は代々旧一志郡竹原村の名家で、祖母津志は津観音近くに嫁ぎ、母あさゑは松坂の小津寅之助と結婚した。安二郎は若き日の十年間、三重県で成長したが、津に遊び、観音境内の映画館になじんでもいる。
松竹で監督に昇進したのは1927(昭和2)年。その9月に、久居(現・津市)の陸軍歩兵三十三連隊へ短期入隊する。母の実家の祖母宅にも泊まり、ご馳走を喜び、庭の佇まいに憩いのひとときを過ごした。
入隊する朝の祖母とのやりとり、そのあと久居へ向かう「軽便」鉄道から見た彼岸花に強い印象を受け、方言まじりの句を添えた手紙を、中学時代の友人置塩高と吉田興蔵に贈っている。碑文はそれを収めた「小津安二郎君の手紙」から抜粋した。
●主石
おばあさんが津の宿屋町に住んでいる。
朝早く僕はおばあさんの前に久振りに
両手をついて殊の外真面目に云った
― 行ってまいります
おばあさんは笑いながら
― またおいなされ、
僕はなんだか悲しくなった。
おいなされ、又このつぎに 彼岸花
小津安二郎