名古屋タイムス昭和28年7月12日号に、こんな記事が載っておりました。
“邦画の良心 独立プロ”悪条件もなんのその!漲る覇気、端役の一人一人まで
「原爆の子」
近代映画協会が「原爆の子」を製作している最中、工場を改造したバラックのセットの中で、夜更けまで撮影をやっていた。窓ガラス1枚無く夜風は吹き抜けていた。それでも全員意気軒昂に働いていた。この気配は、普通の大会社のスタジオでは中々見る事の出来ない雰囲気である。五所平之助監督は「既成会社は、泣いても笑っても最低1年52本の映画がいる、だがわれわれはただ製作したい。いいものを作りたい気持であるので、どうでもいい封切りのためだけの映画はいらないのだ」といっていたが、これが独立プロ作品とそうでない作品との本質的な別れ道であろう。
「雲流るる果てに」「煙突の見える場所」
今年になってみても、独立プロ作品は、多くの封切り映画の中で瓦礫にまじった珠のように光っている。スタジオ・8プロの五所作品「煙突の見える場所」は国際コンクールでイリア・カザンの作品とイタリア映画に続いて三等に入賞したし、重宗プロ「雲流るる果てに」はすばらしい入場者を得た。これらは大会社の企画圏以外から斬新なプランを掘り出してきた結果が生んだ功績に違いない。
「縮図」
もう一つの例で「縮図」の製作予算は二千五百万円程だったが、スタッフ全員はいかにしてこの予算を切り詰めるかに腐心した。この会議にはスターの乙羽信子まで出席し、熱心に検討している。ロケーションで雪に埋もれた高田市に行った時も、乙羽は「この調子じゃロケ費用が超過しすぎやしないだろうか」と新藤兼人監督に相談していた。つまり、現場の者のこの心構えは、作品全体を一本の情熱の線でしっかり貫き結び付けている、と感じられるものだ。そして、「縮図」も興行的に立派に成功した。この近代映画協会は、いま吉村公三郎監督で「夜明け前」の撮影を続けている。
「蟹工船」
一方、現代プロダクションでは山村聡が監督になった第1回作品として「蟹工船」のために真っ黒になって仕事をしている。
佐分利信を表面に立てた東京プロダクションも映画化するのに骨な「広場の孤独」の準備にかかった。この独立プロは、下手をすると、大資本に飲まれるおそれがあるが、佐分利が彼の持つ政治性と芸術家としての精神がこれを防ぐだろう。
これともう一つ、今井正監督が、群馬県の田舎町で文化活動を続けている。真摯な若い音楽家たちの実際の記録を映画化すべく「ここに泉あり」に着手した。こうして、日本映画の輝かしい功績はすべて独立プロに持って行かれそうだ。