吉村英夫氏は著書“黒澤明を観る”(草の根出版会)でこのように著してみえます。
「生きる」という映画は、人間にとってもっとも根源的でありながら、それがために難しいテーマを、映像という具体的なもので表現して、見事に成功させている。
面白おかしくという妥協をいっさい排して、真正面から「生きるとは何か」「人間にとって生とは何か。その対象としての死とはどういうことか」を描ききった。「死を宣告された人間は、最後をどう生きるべきか」というなまなましい問題意識を取り上げながら、大衆性というか、観客の誰もが納得し、画面にのめり込むようなものを堅持しつつ作り上げている。つけくわえれば、“生きる”に神の問題、信仰の問題が出てこないのは立派である。
おもちゃから生きがいを見つける渡辺
市役所を止めておもちゃ工場に働く小田切みきの話をヒントに、渡辺は自分にもつくれるものがあることに気付く。それが公園だった。
黒澤は、おもちゃを「つくる」と、公園を「つくる」という一致点をだいじにしたかったような気がする。半世紀以上のぼくら若者は、なにか具体的なものを「つくる」という事に大きな価値をみいだしていた。クワやカマをもって土地を耕し米をつくり、手や足を使って紙や木や鉄でものを「つくる」、すなわち額に汗した労働によってモノを生産することこそが人間が人間であるための基本的条件だと考えていた。
「つくる」作業が、人間の脳みそをきたえ、能力を高め、人間的な思考を高めていく力になったはずである。共同作業が人と人のつながりをつくった。
助役に詰め寄る渡辺
この作品は、第28回キネマ旬報ベスト・テン1位、第4回ベルリン国際映画祭市政府特別賞、第7回毎日映画コンクール日本映画大賞 脚本賞 録音賞、第6回日本映画技術賞、第7回芸術祭文部大臣賞に輝いている。