Kさんから“彼岸花を観て”と題した感想をいただきました。ありがとうございました。
「大変申し訳ありませんが、小津映画の良さがいまいちわかりません。小津映画ということで当方の期待が大きすぎたのかもしれませんが。他の監督なら気にならない様な事でも、かえって気になってしまいます。タイトルと最後のバックの布模様、出演者の髭のおじさんと眼鏡のおじさん、
会社のセット、汽車の後部のエンド、料理屋と何故かワンパターン。同じセットの佐分利信の自宅、浪花千栄子の家など。外を映した時、同じ植木があったような・・・。それから会話を交わすとき、正面を向いてカメラ目線でのセリフ。まるで相手がいないような感じがします。
ただ専務が云われた、赤についてはやはり目に入りました。山本富士子の着物の帯と裏地、田中絹代の座った座布団、ヤカンと対比して置かれた白い磁器のツボ(一番、目につきました)。
次回の小津映画“東京物語”を観て、どのように感じるのか。楽しみにしています。
最後のこの作品の別タイトル“Equinox Flower”はどんな意味でしょう?」
最初にお断り申し上げます。“東京物語”の上映日程が平成29年2月17日に変更となりました。そして “Equinox Flower”(エキノクス フラワー)は、ラテン語でEQUI(等しい)・NOX(夜)で春分、秋分を意味するそうです。つまり彼岸花の事です。
タイトルのバックの荒布模様は“ドンゴロス”といい、監督お気に入りで小津作品の多くに取り入れられています。(中野翠さん曰く、異様なまでの執着)
同級生の小父様達。佐分利信と髭の北竜二(“彼岸花”“秋日和”“秋刀魚の味”に出演)・眼鏡の中村伸郎(“東京暮色”“秋日和”“秋刀魚の味”に出演)。彼ら三人(“秋刀魚の味”では、笠智衆)が集まる酒席では、品の悪い冗談が出たりして楽しませてくれます。
(料亭“若松”の女将は高橋とよ。若松は秋刀魚の味でも登場します)
汽車のラストは“浮草”でもありましたね。
風景やセットなど、よく似たパターンが繰り返されることは「あ~、やはり小津作品だなあ~」と思わせてくれます。新鮮味はありませんが、安心というか幸福というか、マ、ニンマリと浸れる気分です。
東京の佐分利信の室内と、大阪の浪花千栄子の室内の雰囲気がよく似ています。日本家屋を、低い目線から動かさずに撮っています。
小津監督は、役者の上半身を真正面から撮ってしゃべらせました。ですからカット割りが細かく“晩春”の列車の中の会話では目線が合わないこともありました。しかし、これが小津調。真似のできない独特の味わいを醸し出しているとおもいます。
“小津安二郎と「東京物語」”貴田庄著 ちくま文庫 より ヴィム・ヴェンダース監督が「東京物語」をこう称えています。
20世紀になお“聖”が存在するなら
もし映画の聖地があるならば
日本の監督・・・
小津安二郎の作品こそふさわしい
小津の映画は常に最小限の方法をもって
同じような人々の同じ物語を
同じ町を東京を舞台に物語る
彼の40年にわたる作品史は
日本の生活の変貌の記録である
描かれるのは日本の家庭の緩慢(かんまん)な崩壊と
アイデンティティーの衰退だ
だが進歩や西欧文化の影響への批判や
軽蔑によってではない
少し距離をおいて失われたものを懐かしみ
悼(いた)みながら物語るのだ
だから小津の作品は
もっとも日本的だが国境を越えて理解される
私は彼の映画に世界中のすべての家族を見る
私の父を 母を 弟を 私自身を見る
映画の本質 映画の意味そのものに
これほど近い映画は 後にも先にもないと思う
小津の映画は20世紀の人間の真実を伝える
我々はそこに自分自身の姿を見
自分について多くのことを知る