昭和三十九年六月吉日、一番街ホームラン前の四つ角から公園通りを望む。この日は、一番街アーケードの地鎮祭が行なわれた。恰幅の良い山本七郎氏の姿が見受けられる。公園方面へ関西電波四日市支店・のんきやの跡地・武蔵野茶店・空き地があって相撲料理の栄家と並ぶ。キタオカ前には庇状のアーケードが造られている。ここのアーケードは昭和三十三年に造られたはずだ。道幅が広かったためその後、台風で崩れてしまった。苦労の歴史がしのばれる。かなりのスピードで街が形成されていく。
昭和三十七年九月二日、二年間の工事期間を経て四日市スワ百貨店がオープンした。四日市の新しい顔が誕生した。渡辺のジュースの素の看板をつけた八百屋の車が止まっている。荷台には桃の箱が積まれている。搬入の車だろうか。紅白幕に並べられた花輪。向かいの大阪屋前を多くの人が通る。諏訪南大通りのアーケードは台風で崩れ、撤去されている。
スワ百貨店の中には前の地権者が多く店を構えた。当時東海ストアとここにしか無かったエスカレーターが珍しく、何度も乗りに行った記憶がある。街は希望であふれていた。