鯨肉は、近所の魚増さんの店頭に並んでいた。戦後、クジラの肉は日本人のたんぱく源として大切なものだった。
クジラの肉
小学校の講堂で映画を観たが、捕鯨船の船主にある銛で突かれたクジラは船上で即、解体される。肉はもちろん食用に、骨は歯ブラシに、また、カラクリ山車のバネにと、一切捨てるものがないということだった。鯨肉は癖のある臭いがして、お袋は焼いた肉にショウガを乗せて醤油をかけた。固くて噛み切れず飲み込んだ記憶がある。“鯨の缶詰”としても馴染みがあるが、もっぱら弁当のおかずで、缶に張り付いている角型の缶切りで開いて食べた。臭みが無くなるまで煮込んであり柔らかく、肉を食ってるな!という感触があった。
現在のお弁当のおかず 当時は肉が少なかった
“お弁当のおかず”と云う缶詰もお世話になった。現在、刺身にしたものを高級料亭で食べることができるが、柔らかく昔のような強い臭いはしなくなった。ネギ、フキ、納豆等。歳をとると匂いの強いものが好物になる。
当時に一番近いイメージです
給食に“クジラの竜田揚げ”があったが、給食の話は後日にしたい。
イメージです
“魚増さん”は鶏卵や鯨が専門でなく魚屋さんだ。店頭に並んだ魚を奥で調理してくれる。魚の頭は横の桶に落とされ、ザーッザーッといつも水が流れていた。店内は叔父さん兄弟二人と、若い衆が二人ほど居て、いつも忙しそうに立ち働いていた。当家で飼っていた猫の為に、魚のアラを頂きに行った。「魚の頭ちょうだい!」と云うと、叔父さんは、桶の中からアラを取り出し新聞紙に包んでくれた。ある日、間違えて「猫の頭ちょうだい!」と云い、笑われた。持って帰ると、お袋は汚れた鍋に塩ひとつまみを入れて火にかける。何とも異様な匂いが当店内に充満した。