昭和の食と商店街 その3
「今夜は、店屋物(てんやもん)!」とお袋の一声がかかる。店と台所の掛け持ちは大変。そこで、しばしば店屋物の登場ということになる。食事に出かけるのではなく、取り寄せる。前が“嶋口屋”で10メートルほどの距離を“岡持ち”に入れて持ってきてくれる。 イメージです...
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お祭りは、9月24・25・26日だった。戦前は多くのネリが各町内から競って出され、諏訪神社の大祭を楽しんだが、そのほとんどが戦災で焼失した。新田町には“天の岩戸”のからくり山車があり、おふくろは、昼になっても帰ってこない親父に弁当を届けた。...
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昭和30年代の朝は忙しい。近所の“魚増”へ卵を買いに行く。仕出し屋の名残か、魚屋で鶏卵も扱っていた。糠(ぬか)の中に埋まっている卵を丁寧に取り出してくれる。弁当のおかずにするためだ。 左に桑名屋の看板(樹林舎刊 四日市市の今昔より)...
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昭和32年頃の街 “嶋口屋”の店屋物が多かったから、たまに違った麺類が食べたくなる。ちょうど嶋口屋の裏手、1号線沿いに小さな食堂“ママ家”があった。 今でも看板が残っていて建物もそのままだ。大衆食堂とあるから入口右側のウィンドウにはいろんな見本が並んでいたことだろう。ラーメン、炒飯、やきそば、おでん、かき氷 あたりか?我が家はラーメン専門だった。 イメージです...
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床屋の定番は、裏のチェリーさんだったが、一時浮気をしたことがあった。床屋勤めの若い衆が、夜になって我が家へ遊びに来た。ガムをクチャクチャ噛みながら世間話をする。やがて風呂敷包みから道具を取り出し順番に散髪してくれるのだ。どうやらお袋からおこずかいをもらっていたフシがある。闇床屋であった。 イメージです...
View Article昭和の食と商店街 その9
昭和30年頃、諏訪前通り商店街に“太陽堂”がオープンする。それまでは、斜め前でお祖父さんが店を構えていた。その前でお父さんが新規開店したのだ。“グリル太陽”と書かれたモダンでシャレた店舗。それを包むように花輪が飾られた。...
View Article昭和の食と商店街 その13
過去、稚拙のブログ“温故知新”にも書いたが、諏訪公園内にあるスワパズルパーキングの場所に“四日市幼稚園”が建っていた。母園である(ボエ~ン)。空襲で焼け残った演舞場(①より③の部分)に、保育室④と管理室⑤、そして、昭和27年、2階建ての保育室⑥が建て増しされた。...
View Article"ビルマの竪琴”上映しました
昭和31年度版“ビルマの竪琴”を昨夜上映いたしました。64名の方々に参加いただき、北勢地域若者サポートステーションの皆様のお手伝いで、久方ぶりに椅子を追加させていただきました。ありがとうございました。 古い時代の映画でしたがクリーンな画面で観ることができました。技術の賜物です。あらためて鑑賞し、市川崑監督が、ビルマの自然や仏教寺院をカラーで撮りたかったと思えるシーンがたくさんありました。...
View Article昭和の食と商店街 その14
イメージです 小学6年生の頃は、リッチな友人のO君とよく遊んだ。ある日、O君の家でしこたま遊んだあと、おやつをごちそうになる。なんと、薄―くスライスしたトマトに白砂糖が山と盛ってあるではないか。「これなら何とか食べられる」と思った。自分はトマトが大嫌いだった。夏休みになるとトマトにソースをかけておかずとして食べる。「トマトは絶対おかずではない!」というのがトマト嫌いな私の持論だった。...
View Article昭和の食と商店街 その15
“海底人8823”を知っているだろうか?昭和35年のお正月から半年間、テレビで“海底人ハヤブサ”と云う番組をやっていた(♪8823謎の人 8823海底人 正義の勇者だハヤブサだ~)。 写真提供:故辻俊文氏 右にスワサロン 現在のすずらん通り 下が東...
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当家の西にある路地を南へ進むと線路に出た。ここから右方向に諏訪駅が見えた。国鉄から出発した名古屋行は、軋み音を立てて急カーブを曲がり諏訪駅に着く。この線路は新しく近鉄四日市駅が出来た為、昭和31年9月に廃線となった。 四日市の昭和 樹林舎刊より...
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お正月を控え、我が家では12月30日早朝に餠をついた。搗き立ての餠にあんこ、菜っ葉、大根おろしを絡めて食べる。それが終わると、お餅をリヤカーに積んで、姉と二人で朝日町の親戚の家へ運んだ。徐々に明るくなり、周辺の風景がはっきりと見えるようになった。 正月は商店街の店がほとんど休みになる。三が日を優雅な気分で過ごすためには、年末の内に買い物を済まさなければならない。 辻俊文氏撮影...
View Article昭和の食と商店街 その18
昭和32年2月の早朝、辻さんは諏訪駅東にあった踏切跡から線路道を東にカメラを構えた。三泗百貨店は売り尽くしセールを行い、スーパーサンシに変貌を遂げる。看板にこう書いてある。 アナタの好きなお値段でお買下さい 早ければ良い品が 山と積まれ オソクナルトダンダン 値段が安くなる 此の売出は二日目ごとに一割づつ安くなります 一番最後まで残った品は 1000円の正札の品を...
View Article昭和の食と商店街 その19
“聞き書き 三重の食事”農文協刊は数年前にブログで紹介した。 イメージ(上品すぎる写真) “伊勢平野の食事”の中に“おじや”が出ていた。“雑炊(料亭の・・)”ではなく“おじや”は懐かしい言葉だ。...
View Article昭和の食と商店街 その20
昭和31年9月、諏訪駅閉鎖に伴い駅舎は解体される。 リオ様のご指摘で修正を加えました スワマーケットは、諏訪駅の南側にあった。戦後、駅前に小さな店が並びはじめ、一つの集合体となってマーケットが出来上がった。 文房具屋さんは二階建てであることが分かる...
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