蒸かしイモと蒸かし器
“さつまいも”は、団塊の世代にとって思い出が深い。食の足しに、おやつに珍重された。高岡から送られてくる金属仏具は、木箱にワラ詰めで来る。木箱は風呂の焚き付けに、ワラは家の横でたき火にされた。燠(おき)ができた頃、さつまいもを潜り込ませる。タイミングがある、急いではいけない。家庭内では蒸かし器を使った。おやつとして頻繁に出されたので、塩のかかった蒸かし芋はあまり好きではなかった。時にはバターを塗り、ちょっと豪華にして食べた。
どこで売られていたのか記憶にないが、輪切りのさつまいもを鉄板に並べて焼いていたのを見て「こんな焼き方もあったんか」と珍しく思ったことがある。
四日市市の今昔 樹林舎刊より
諏訪神社南通り(現在の三番街)にポテトの店があった。狭くて暗い店内でおばさんが2センチくらいに切った細長いさつまいもを揚げ、蜜を絡めて売っていた。黒ゴマがかかっていたかは記憶にない。商店街の写真は昭和35年となっているから、おそらく左手前から3軒目のシャッターのあたりになると思う。外はカリッと固く、中はほっこりと柔らかい。病みつきになり10円持って頻繁に出かけた。しかし、同じものばかり食していると、やがて飽きが来る。揚げ過ぎの焦げ臭いポテトを買わされたのが最後で、その日以来きっぱりやめた。
芋かりんとう
お菓子の“芋かりんとう”はおやつの定番だった。“その6”で紹介したコトブキヤへ10円持っていくと、叔父さんがガラスの蓋を開けてザザッとすくい、紙の袋へ入れ秤にかけてくれる。10円で何グラムと書いてあるラベルを見ながら、数本余計に入れる。幸せを感じる時だった。