昭和32年2月の早朝、辻さんは諏訪駅東にあった踏切跡から線路道を東にカメラを構えた。三泗百貨店は売り尽くしセールを行い、スーパーサンシに変貌を遂げる。看板にこう書いてある。
アナタの好きなお値段でお買下さい 早ければ良い品が 山と積まれ オソクナルトダンダン 値段が安くなる 此の売出は二日目ごとに一割づつ安くなります 一番最後まで残った品は 1000円の正札の品を 300円で買えることになります
三泗百貨店は、小さな店の集合体だった。薄い板張りの床をゴトゴト歩くと、文房具や画材、趣味の切手やコインの店が並び、東の隅に小さな食堂があった気がする。駅前の諏訪マーケットと成り立ちはよく似ていた。そして、店舗形態に変化が現れる。便利なスーパーサンシが出来て、まわりの生鮮三品の店は打撃を受けた。サンシの販売方法は革命的だった。野菜でも魚でもお菓子でも、一カ所で買い求めることができ、包装も変わった。新聞紙に包んだり、どんぶり持参で買いに行ったものが、レジで一つの袋に入れるようになった。
翌年の昭和33年、日清のチキンラーメンが35円で発売される。これも革新的だった。サンシの売り場には野菜の横にインスタント食品が山と積まれるようになる。当時、わが家には蓋つきのどんぶりがあった。チキンラーメンを袋から取り出し、お湯を注いで3分間待つ。(すぐおいしい♪ すごくおいしい♪)味は今でも変わらない。
当初はおやつ感覚だったが、煮立てる麺が発売されると、様々な野菜や卵を入れておかずにした。
中学生の時、学校から帰るとおやつを求めてサンシへ走った。お気に入りのチョコレート、それは不二家のダブルチョコレートだった。大きくて甘いチョコを、ガツガツ食べた。後日、学校の検査でカイチュウが存在していたことが判明した。