“聞き書き 三重の食事”農文協刊は数年前にブログで紹介した。
イメージ(上品すぎる写真)
“伊勢平野の食事”の中に“おじや”が出ていた。“雑炊(料亭の・・)”ではなく“おじや”は懐かしい言葉だ。
冷たくなったおし(味噌汁)に水を加えてのばし、その中に冷たく固まっている麦飯をくずして入れ、さらにネギを2~3本ほどきざみ込み火にかける。醤油味のものもつくる。水でご飯を洗い直し、かつ節や菜っ葉を入れて煮なおす。米だけを使って炊くおじやは、病人や幼児に滋養をつけるためにつくる。これには、かつ節、菜っ葉のほか、卵、じゃこなどを入れて炊く。子供たちが喜ぶ食べ物である。
お正月料理を再掲載する。
昔のお正月のごちそう
上から1段目:(左から)田作り、れんこんの煮しめ、なます、酒、2段目:煮豆、ごぼうの煮しめ、黒豆、3段目:こんにゃくの煮しめ、数の子、にんじんの煮しめ、しぐれ炊き、下:雑煮
12月29・30日に餅つきをする。もちは、お鏡、雑煮用ののしもち、あんこを中に入れた包みもち、そして搗きながら食べる菜もち、おろしもち、あんころもち、きな粉もちなどである。
おせち料理は、黒豆、田作り、数の子、煮豆、なます、煮しめ、(ごぼう、れんこん、ただいも、こんにゃくなどをそれぞれ煮しめる)、しぐれ炊き(かしわ、ただいも、にんじん、ごぼう、れんこんを一緒に煮たものなどで、2~3日前から下ごしらえにとりかかる。
雑煮は、丸餅で菜っ葉類は“無し”と云い、縁起を担いで用いないとあるが、当家では切り餅に菜っ葉とかしわを入れた醤油味だ。
お正月の雰囲気が遠のいた頃、お鏡餠を細かく割って揚げ、塩をかけておやつにする。カリッと揚がるといいのだが、大きいと芯が残ったりした。
餠を火鉢で焼き、炊いた小豆に入れて“ぜんざい”にした。餠はお店で買うものではなく、無くなると練った小麦粉を茹でて餠のかわりにした。(写真は、白玉で当時はなかった)
上の穴から米を入れて回すと、周りから米粉が出てきた
親戚へ遊びに行ったとき、おばあさんが石臼で生米を挽き、みたらし団子を作ってくれたことがある。店で買うのと違って何本もたべた。昭和30年初め頃までは、おやつは原則として家で作るものだった。