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昭和の食と商店街 その22

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四日市市の今昔 樹林舎刊 チラシより

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実物はもっとペラペラでした

公園の南、サルの檻の東に“だるまや”が店を出していた。うす焼を売っている。鉄板に小麦粉の溶いたものを薄く敷き、キザミネギをふりかけソースを塗るだけのシンプルなもの。幼少の頃、姉が“お好み焼きをつくろう!”と云い、家で作ったのがこれだった。おいしくないと思い込んでいたが、後年、“らく天”で食べたお好み焼きで、オラの先入観は打ち消された。

昭和28年7月12日発刊の“名古屋タイムス”に、諏訪公園周辺の様子が書かれていました。再掲載です。

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“聖なる教会”真ン向かい 紅い燈ともる特飲街 そのまた隣が幼稚園

〇 諏訪連鎖街を昔は新田町といった。戦前、諏訪神社の境内だった土地に諏訪産業という会社が軍隊の払い下げの建物で建売りを始めたのが戦争直後、ボツボツ人も入り住んだが、一日で二人の通行人しかなかった日もあって最初に店を開いた人は泣いたそうだ。これが一期生。それから順次二期生、三期生、四期生となるころは今のような盛り場が出来上がった。それ以後は新入生と称するそうだ。現在(昭和28年当時)七十六軒、周辺は商店で真ん中の小道はノミヤが多く、客も社用族が多い。僕の家というのは、桑名町で同名の店を出して有名だった。主人は年うつり、いまやまるハゲとなった。ホセとカルメンは同じ資本のバー、白菊、文楽はよくはやるノミヤ、特徴はヨルバイトをしないこと、だそうだ。街に立つ女もいないし、温泉マークも周辺にあるにはあるが青線的形態ではないらしい。その方の御用は専らこちらと港楽園、春告園という特飲街がある。両方合わせて40軒、女を不当にサクシュするとかいうのでしばしば手入れをされたアブレ赤線業、行き詰まりの狭い路地のズラリと並んで、気の弱い男はとても近寄れない。ほかに諏訪公園前に待合という名の特飲店が数軒、その前にはカトリック教会があり図書館があり幼稚園があり、まことによき対照をなしている。すなわち図書館の窓から干し物が望まれたり、幼稚園の子供が区域へ迷い込んだり、しばしば問題が起こるゆえん、もともとカトリック教会があったのを無理に赤線が出来たものらしい(昭和30年頃までは教会と赤線が並立していた)。かつて、立ち退け、いや退かないでゴタゴタがあったそうだ。

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神社前の商店の並びが掲載されていました

〇 諏訪神社は信州の分身、9月25日から27日までが祭礼で有名な大入道やクジラ船の山車が出る。裏は公園、サルが飼ってある。のどかな雰囲気である。近所のパチンコ屋から軍歌(軍艦マーチ)が流れてくる。パチンコはさかんで満員「出やん、出やん」とガラスを叩いている。名古屋より甘いので、名古屋から出稼ぎに行ったらいかが?

〇 キャバレーやレストランもないが港へ入った外国船の船員が遊びに来る。町の人もなれていていい商売になるそうだ。だが、中にはタクシーの運賃を払わなかったり、酔っ払ってケンカしたりするのもあるとか。ベラベラッとやると言葉のわからないせいもあって、こちらはおとなしくなるそうだ。ノルウェー人が多いという。国際親善はうまくいっている、というのだろう。(文・川太郎、え・ワシズ泉夫)

やや乱暴な文章で、戦後間もない乱雑とした雰囲気が良く出ています。

新田町の西に連鎖街があったのでこの記述はまちがっています。

諏訪産業というのも初めて聞く社名で、公園周辺に家が建ち始めた経過に興味がわきます。

諏訪公園内に四日市幼稚園があり、公園の西に広い庭のカトリック教会がありました。Sちゃんと忍び込み築山に上り、はか南方を眺めると龍宮城のような建物,港楽園が望まれました。公園と幼稚園と赤線が混在した町、外部の方には不思議な光景に映ったのでしょう。

 


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