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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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並んだレトロ 看板建築

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11月8日付の中日新聞に、亀戸香取勝運商店街に作られた“看板建築“の記事が掲載されていました。
街おこしにレトロ作戦。大正時代のファサードガ並びます。


再び 午起海岸のこと・・・

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昭和15年ころの午起の様子です。

昭和24年の三滝川河口 浚渫工事の様子です。三滝川から流れ出る白い砂は河口の午起に白い砂浜を作りました。
船の出入りのためには、しばしば河口の砂を取り除かなくてはなりませんでした。

昭和28年ころの航空写真。中央の十字路に立つ二階家が午起バス停でした。ここから右へ進んで、午起住宅を過ぎると、そこに高い堤防がありました。母親に連れられて海水浴に行ったころは、多分この頃だったのではなかったでしょうか。美しい砂浜は、すぐ近くにありました。

バス停付近から東北を望んだ写真は昭和40年ころです。
すでに海岸は埋め立てられて火力発電所の煙突が望まれます。
名四国道をまたいだ午起住宅地は陸の孤島となり、やがて姿を消すこととなります。

失敗は成功のもと!

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14日付の中日新聞“紙つぶて”より

ハリーさんの人生訓は「失敗を生かす」です。
「失敗をしたことがない人には大きな仕事は任せれない」
“失敗は成功のもと”失敗を恐れず挑戦する心意気こそ大切です。
そして失敗を体験に再び挑戦する意気込みこそ、
大切な
たった一度しかめぐり合うことのできない
生きている 人生への
アカシだと思います
失敗を 恐れるな!
失敗に くじけるな!

昭和不況の中の映画

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なんとこの映画は、昭和11年に公開されました。
当時は2.26事件が起きた年です。身売りが行われ、朝鮮人労働者が強制労働に従事された、そう云った不穏な世相を反映した映画です。
にもかかわらず、南伊豆を走る路線バスにはあまり暗さが感じられません。
運転手(上原健)は道行く人すべてに「ありがとう」と声をかけながらバスを走らせます。それはリズミカルですら感じられます。
驚くべきは、江戸時代から変わらずに営まれ続けていた伊豆半島の世相が描き出されていることでした。
これは貴重なフィルムです。私たちは、江戸・明治・大正・昭和と一定の印象を持って意識づけてきました。しかし、地方の人々の暮らしは、学校ができたことや、バスが走るようになったことぐらいで、人々の生活そのものはそれほど変わってはいませんでした。
大きく変わったのは昭和30年代以降だったでしょうか。
ゆっくり、のんびり、時の流れは時代に左右されまいとばかりに過ぎていきます。けれど、時代の不穏な流れは、しっかりとこの地方にも浸透してきていました。
この映画はハッピーエンドで終わります。フランク・キャプラの“或る夜の出来事”の影響を受けたと聞きました。
心地よく楽しい、人生に元気が出る、素晴らしい映画です。
この映画を推薦していただいた方に、深く感謝したい気持ちです。

繁盛店を目指して!

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商店街の繁栄は、まず個店の繁盛から!

11月20日から“全国商店街支援センター様”にお願いしていた6カ月臨店研修が開かれ、参加希望があった6店舗を中心に、繁盛店づくりを目指して勉強会と実施が始められました。
昨日、東京からお越しいただいた“日本コンサルタントグループ”地域経営研究所 所長の牛久保修一さんとコンサルタントの相楽 守先生に6店舗を回っていただき、第1日目は全体研修、2日目は1日かけて臨店の後、参加店研修を行いました。
各お店の抱える悩みをじっくり聞きながら、どうすれば見える形での繁盛を目指すことができるのか、知恵と汗を出し合って改善してまいります。
商品知識のプロになろう・店内が良く見えるファサードを・文化や風習を伝えるお店を目指そう・季節ごとのウィンドゥの模様替えを・マスコミが取り上げるような話題づくりを・一店逸品を・共同チラシを作ろう等、実施に向けての具体的方法が出されました。
今回の臨店研修が終了を迎える平成25年2月27日には、全員で成果を喜び合えるような、そんな日を迎えたいと楽しみにしています。
第2回 臨店研修と参加店会議は12月19日に開かれます。
追記
市の商工農水部から山口さん、商工会議所から水谷さんにアドバイザーとして参加をいただきました。
お忙しい中お越しいただき、ありがとうございました。

中心商店街雑景

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鵜の森公園の紅葉がちょうど見ごろです。桜の木が晩秋にはこんなに美しくなるとは・・・・

もみじの赤もきれいです。

駅前中央通りのライトアップも始まっています。

せっかくですからここを公園にしてはいかがでしょうか?四日市大学の生徒さんからも提案していただいています。
辻さんの写真。昭和40年7月31日。ちょうど反対に当たる農協前から撮っています。楠の木も大きくなりました。

文化の諏訪駅からイベントのお知らせです。


“おもちゃ箱”で思い出しました。

昭和31年8月30日。キタオカさんの前に当たる諏訪駅跡地で“歌のびっくり箱”と題した歌謡ショーが開かれました。
まぁなんと大勢のお客さんが押し寄せたことか。

元気な中心商店街を!

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今年も“よさこい祭り やったろ舞”が中心商店街を舞台に繰り広げられ、終日元気な踊りでにぎわいました。


また昨日は四日市市長選の投票日でもありました。
当選 田中俊行 56792票
     伊藤昌志 24288票
     谷口りつ子 3582票
田中市長は「元気な産業と輝く文化のまちを目指します」と、二期目に向けての抱負を語りました。
よろしくお願いいたします。

掃部塚(かもんどづか)秋景

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商工春秋12月号が届きました。

今月は水谷百碩画伯(1868〜1928)の“掃部堂(かもんどう)の秋景”です。
天正3年(1575)の浜田城落城の時、浜田家の家臣中川掃部助が戦死した場所を地元では、かもんど(掃部殿)塚と呼び、祠(ほこら)も設けられていました。
百碩は、掃部堂(かもんどう)という字を当てたようです。
たわわに実る稲穂と雀を追い払う鳴子の様子が鬱蒼とした森と対照的に描かれています。
現在もかもんど(掃部殿)塚は、天理教四日市分教会の中に残されています。(四日市市立博物館蔵)

天正3年(1575)織田の軍勢に攻められた浜田(鵜ノ森)城主である遠江守元綱の家臣中川掃部助は、恨みを呑んでこの地に果てました。
以来、塚の周辺は鬱蒼とした森となり周辺住民に恐れられていましたが、現在は、四日市天理教境内にその碑を残すのみとなりました。


電力社員と議員を兼務

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11月25日付、朝日新聞の記事より



記事をお持ちいただいた某さん、感謝いたします。

オー!朔日恵比寿

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今日から12月、気分的にもイソガシイ

朔日恵比寿の野菜100円市は大好評!ただし、持ち帰りに苦労のキャベツ8個と白菜2個が残ってしまいました。

抽選会も恒例化?がすすみ、通り行くお客さんからお尋ねが出るようになりました。継続こそ力デス!

本日の朔日餅は大福餅さんの大福餅2個200円。完売でした。ありがとうございました
四日市の名産にお菓子が重要な地位になるよう、日々、努力、している、ので、アリマス!

「羅生門」のスゴサ!

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第4回上映の「男はつらいよ」の感想をSさんから頂戴しました。

「男はつらいよ」は、我が家では「・・はつらいよ」です。
娘が3歳のころ、私が所用で夫に娘を預けて出かけました。
夫は娘と1日過ごすのに苦心して映画館へ・・・。
帰宅した私に娘は「・・はつらいよ」みたよ、とごきげん。漢字が読めなくてひらがなだけ読んだのです。
映画の看板を見ては「あ!つらいよ、だ」。新聞のテレビ欄を見て「今日はつらいよあるよ」という具合に。
それ以来この映画は「はつらいよ」となりました。
その娘も40半ばとなり、久しぶりに「はつらいよ」を楽しく、笑って、みさせていただきました。ありがとうございました。
ホロ苦くも楽しい思い出をありがとうございました。「男はつらいよ」第1作、急きょ変更での上映でしたが、それぞれの思いで鑑賞していただけたことに幸せを感じております。

11月30日は、第5回 昭和キネマの会「羅生門」を上映させていただきました。
今回は早くからお越しの皆さんで、定刻前に開場は満席となりました。感謝です。

浜田のDさんの感想です。
数ある黒澤作品の中でも、優秀作品です。
何度観ても新しい。やはり黒澤は素晴らしい!


Mさんもその場でいただきました。
世界的に有名な大作。まさに重厚、世界一作品。私は昔(青年の頃)たった一度だけ観た記憶があります。出演の俳優さん方の顔も、現代の顔が変わって、オヤッと自己のイメージを変えました。
何分にも、当時はあまり理解する知力がなく、単にうわべを観た感じで、今回の判断とかなり異なりました。
昔の映画は実によくできていて、改めて感動いたしました。役者の熱演に心打たれました。肝銘です。ありがとうございました。

Tさんからも頂戴しました。
まずは「羅生門」のセットの壮大さに圧倒されました。“雨”の量も半端じゃなかったです。一体どれだけのスタッフが加わっていたのでしょうか?
映像は光と影の部分がくっきりと映し出されていて、白黒フィルムならではの効果が存分に出されていたと思われます。
特筆すべきは、カメラワークの斬新さ(杣売りの動きは下から撮っていた)・アップで映し出された俳優の迫力ある表情の数々・三船敏郎と京マチコの身のこなしの軽ろやかさ・千秋実、志村喬にはオーバーアクションは無かったけれど、彼らの云う台詞がすべてきちんと聞きとれたことは、さすが劇団員として鍛えられたプロの技・音楽の素晴らしさが作品を盛り立てるということ(ボロディンの名曲を彷彿とさせるような旋律を繰り返しながら、各々の場面にあった曲の流れにしていた)
終章の赤ん坊が拾い上げられる場面では、ホッと救われた思いでした。
世界の黒澤を誕生させることとなった記念の作品。大変見応えがありました。
ありがとうございました。

皆さん感想をお寄せいただき、ありがとうございました。
モノクロでなければ出来なかった「羅生門」。
叩きつけるような雨、多襄丸を駆り立てた風、木々の間から差し込む強い光、そして一貫して流れるボレロの曲。これらが効果的に使われていた素晴らしい作品でした。

キャンドルナイト

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今年もキャンドルナイトが行われます
スワセントラルパーキング周辺にもローソクの明かりがともされます

安城にはチカラがある!

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11月29日、四日市商工会議所さんのお力添えで四日市諏訪商店街振興組合役員会は、安城商店街の視察に出かけました。安城市の人口は18万、街の形成は比較的新しいと言えます。
駅前デッキからの眺め
Webページ“安城まちなか情報館”をご覧いただけば分かるように、多くの活性化策が展開されています。
安城の皆様
視察団の一行
商店街に元気をと、商店街と市と商工会議所が活性化対策協議会を立ち上げたのは平成8年のことでした。それまで集客力のあった“安城七夕まつり”を発展させ“安城サンクスフェスティバル”として、商業と市民との距離を縮めるイベントを開催しました。学生・地域住民と商業者が一つになって企画・実行が進められたのです。
ウォールペイント事業
その後、平成11年には“クリエーションプラザ”が開館。ここではタウンマネージメント機関である“まちづくりAnjo”と“サルビアスタンプ”の事務局が設置され、以降、雪崩をうったように40代の若手中心で様々な企画が実施されてきました。
南吉館
南吉定食
ごん狐クッキー
一店逸品運動・空き店舗活用事業・情報誌「どーだん」発行・安城まちの教室の展開・商業塾開講・南吉のウォールペイント事業・南吉かふぇによる集まる場づくり・タウンガイド誌“Akind”発刊・街のための街頭パトロール実施・レンタサイクル事業・ホームページによる情報発信・エココイン流通事業・まちなか産直市・南吉館(カフェ)の運営など、失敗をものともしないエネルギーには驚かされるばかりです。
そして、平成23年8月8日行政・企業・商業者が地元住民を巻き込んで まちづくり会社“安城スタイル”が設立されました。まず実行し、実行しながら考えて行こうという方針です。
まちづくり会社の出資金は、各10万円で合計130万円です。ハード事業に取り掛かる必要ができてから行政も巻き込んでいくという、設立にスピードとパワーを感じました。
お話の中でお聞きした、活性化プロジェクトリーダーの深谷政信さんの「自分の居場所がここにある」という一言が忘れられません。



その後、シャッターが目につく通りを歩いていると、空き店舗には壁新聞“朝日町かわら版”が貼ってありました。デザイナーでもある商店街の理事長 江坂松男さんが自費で毎月発行されているとのこと。店頭まで出てきていただき、熱意あるお話が聞けました。
元気を頂戴した安城視察でした。お忙しい中、時間を割いていただいた商店街・商工会議所・株式会社安城スタイルの皆様に、深く御礼申し上げます。

閉められない扉は 開けるな!

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本日5日付の中日新聞から


朔日恵比寿スペシャル!

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朔日恵比寿スペシャルのポスターができました。
ノウハウをもっと知りたい。講習会を、商店街で開きたい!ノデス




二十四の瞳

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平成25年になりますが「二十四の瞳」を上映いたします。

小豆島を背景に、貧しさに堪え、戦争の惨禍に流されながら生きた12人の生徒と、生徒を見つめる大石先生の物語です。

何度観ても泣かされます。

“有りがたうさん”の素晴らしさ

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清水宏監督の“有りがたうさん”は、昭和11年に公開されました。今から76年前です。昭和11年は、2・26や阿部定事件が起きた年でもあり、昭和不況の中、太平洋戦争が影を落とし始めたころです。

伊豆半島の下田と三島間の山道を路線バスが砂埃を上げて行きます。清水監督は、2年ほど前に公開のアメリカ映画、フランク・キャプラ監督による「或る夜の出来事」にヒントを得たといわれています。クラーク・ゲーブルとクローデット・コルベールによるコミカルでテンポの良い映画でした。

清水宏は日本の自然を大切にする監督で、この映画はオールロケーションで作られました。当時としては画期的なロードムービーだったと言えます。

自然の中に俳優をなじませることを流儀としていた監督は、役者に熱演は求めなかった。工夫された演技はむしろ不自然だと。そのため脚本はあまり綿密に書かれず、現場で即興的な演出をしていたそうです。

ある女優が自分の演じる役柄について研究し数パターンの感情表現を用意して、現場で清水宏に見せたそうです。すると清水宏は「よく勉強してきたね」と言って、「じゃあこのシーンは気持ちナシで」と言い放った。いかにも清水宏らしいエピソードです。

道をよけてくれる人々(時にニワトリにまでに!)に、「ありがとう〜、ありがとう〜」とイケメンの運転手(上原謙)が声をかける。だからその運転手のことを人々は親しみと尊敬をこめて「有がたうさん」と呼びました。個性豊かな乗客たちが次々と乗っては降り、とんでもなくゆったりとした口調でセリフのやり取りがなされていきます。どうやらこの言い回しは、作為的だったようです。

女郎屋へ身売りする少女と母親に投げかけられる言葉。「男の子なら乞食になるかもしれないが、女の子なら身売りしてお金になるから幸せだよ」しかし、そこに悲壮感は漂わない。私たちはその場から距離をおいて見ていられるからでしょうか。

道行くチマチョゴリ風の衣装を着た大勢の男女をバスが追い抜いて行きます。その中の一人の女性が、休憩しているバスに近づき、ありがとうさんに声をかける。どうやら馴染みらしい彼女は道路工事に従事しており、ここの工事が終わると、信州の方の現場に移動すると、別れを告げます。「自分たちは、道路が完成しても、そこを通ることはない。一度は日本の着物を着て、ありがとうさんのバスに乗ってみたかった」と話します。

そして今日も、ひとびとの「暮らし」と「こころ」を縫うようにして走るボンネットバス。“ありがとうさん”は永遠に当事者になれない傍観者です。不思議と彼だけ生活感が漂わないのはそのせいでしょうか。あくまでも風景の一部としてすれ違っていく人々。この作品を観ながら、想像をたくましくして「お幸せに」とひとりごちたとき、ふとどこかで「ありがとぉ〜う」の声が聞こえた気がしました。

昭和11年公開 清水宏監督作品「有りがたうさん」 貴重なフィルムに映し出される 明治・大正・昭和の風景と人情!ご期待ください!

朔日恵比寿スペシャル!

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本日、朔日恵比寿スペシャル!でしたが・・・抽選券の出が今一つでした。

ここで問題が顕著に・・・協力・非協力店の差がますます出てきました。

この溝をどう埋めていけばいいのか。というよりも、協力店を増やす工夫が大切となってまいりました。

ガンバレ!スワマエ!

人のために生きてこそ

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昨日の中日新聞の夕刊から“紙つぶて”です。良いコメントでありました。

有りがたうさん!

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寒さがこたえる冬至の夜 “有りがたうさん”を上映させていただき 大勢の方にお越しいただきました。まさに「ありがとう〜ぅ」であります。本日ばかりは、これほどまでお集まりいただくとは 思っておりませんでした。心から「ありがと〜ぅ」でございます。

次回 25年1月25日上映の「二十四の瞳」は上映時間が繰り上がり 午後5時30分 となりますので ご了解いただきますようお願い申し上げます。

ご支持いただいております 今回参加いただいた皆さん 本当にありがとうございました どうかよいお年をお迎えください 次回涙なくしては観られない「二十四の瞳」をどうかお楽しみに!

ありがとう〜ぅ!

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