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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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昭和キネマの集い第1回“張込み”その1

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7月27日金曜日午後6時30分“昭和キネマの集い”第1回は、野村芳太郎監督作品昭和33年松竹製作、松本清張原作の“張込み”です。
“張込み”はその後何度もドラマ化されていますが、私が野村監督作品をDVDで観たのは2006年8月でした。以来、この作品は何回もみなおしていて、ブログ4回にわたって感想を書いています。2006年8月9日2006年8月11日2006年8月16日2009年8月8日
横浜23時6分発薩摩号に飛び乗る二人の刑事。
     
     
車内は満員状態ですが朝を迎えた京都でようやく席を確保できます。
     
列車は山陽本線に入り機関車がけん引します。
     
広島では、駅弁とお酒を買い求め、小郡では東京から乗ってきた同僚の刑事たちと別れます。
     
     
こうして夜の関門海峡をとおって遅くに佐賀へ到着するのです。




四日市は問う 中日新聞より

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7月22日から中日新聞に特集が組まれている“四日市は問う 公害判決40年と福島事故”。この記事から改めて四日市公害と福島原発事故は同じ企業と住民の間に起きた環境破壊事件であることに気付かされました。
「しまった。あの経験は何だったのか」環境経済学者の宮本憲一さんは、原発事故の様子をテレビでみていて、1972年7月24日の四日市津地方裁判所での判決の様子を思い起こしていました。
     
23日の朝刊には、アメリカボンの谷田さんが写真入りで掲載されています。
谷田さんは40年前、9歳になる長女の尚子さんを四日市公害で亡くされています。公害告発の語り部として壇上に上がった谷田さんは、涙でとても話せる状態ではありませんでした。以来、講演を断り続けてきましたが、原発事故をきっかけに「ここで話さなければ尚子が犬死になってしまう」と語り始めたそうです。
街の発展のためと信じた企業に生活を奪われた家族。あの頃の自分たちが福島の事故と重なって見えた。
十年ぶりに語り部を務めた谷田は、涙を拭きながら最後まで話すことができた。「国も企業もお金ほしさばかり。それで尚子は死んでしまった。これ以上繰り返さないで」
視線を上げると聴衆たちも泣いていた。

スワビ・アミューズ2012開催決定

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7月23日スワビ・アミューズ2012の第1回実行委員会が開かれた。(スミマセ〜ン 参加できませんでした)
昨年の大成功に引き続き開催が決定。今年の夏も熱くなりそうです。

環境学習センターの工作教室

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3年前、経済産業省の援助を得て“中小商業活力向上事業”を実施。太陽光発電・駐車場内のLED化を行いました。
この事業の一環として7月27日三重県環境学習情報センターと四日市環境学習センターのご協力をいただき、2回目のエコ工作教室を開催しました。
午前と午後の2回に分けて計40名の小学生さんが参加。今年は参加料300円を頂戴して、超豪華な“でんじろう先生のソーラーカー”の組み立てに挑戦していただきました。
冒頭の挨拶で、40年前勝訴した四日市公害裁判は、その後環境改善に大きな成果を見せた。今回の原発問題も環境破壊という点で根は同じ。誰が原発を再稼働させようとしているのか?誰が原発を阻止しようとしているのか?皆さんの目でしっかりと見届けていただきたいとお話させていただきました。
     
暑い中、駐車場屋上と市役所駐輪場の太陽光パネルを見学、その後、工作教室に取り組んでいただきました。
     
     
三重県環境の水谷さん、四日市環境の山本さん、参加生徒のみなさん、外羽理事長、柳川理事の開催にご協力いただいた皆さま、お疲れ様でした。

第1回サテライトステーション事業開催

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7月27日、平成24年度 文化の駅サテライトステーション事業 “昭和キネマの集い”第1回 野村芳太郎監督「張込み」を上映させていただきました。
    挨拶をする外羽理事長
おかげさまで会場は満席。“小津安二郎再発見”以来、久しぶりのお顔が並びます。
   
   
   
横浜23時6分発“薩摩号”に飛び乗った柚木・島岡の二人の刑事は1泊2日をかけてようやく佐賀に到着。木賃宿の備前屋から、さだ子に会いに来る石井を張り込むことになるのです。ここまでが壮大なプロローグ。私は何度観なおしたことでしょうか。
作品の最後。逮捕した石井を護送して夜の佐賀駅のプラットホームへ消えてゆく刑事達。駅の構内放送が聞こえてきます。「この列車は、佐賀、博多、門司、小郡、広島、大阪、京都、大垣、名古屋・・・・・」冒頭のシーンを思い起こさせるエピローグに拍手!デゴザイマシタ

鵜の森春景

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四日市商工会議所発行の機関誌“商工春秋”8月号が届きました。
     
今月の表紙、水谷百碩画伯(1868〜1928)の絵は“鵜森春景”です。(四日市市立博物館蔵)
鵜の森神社は、浜田城跡にあり、四日市の発展の基礎を築いた浜田一族を祀る神社です。
神社の森の鬱蒼とした中に、桜の花が咲き、周囲を黄色い菜の花と紫色のレンゲが埋め尽くしています。今では考えられないような穏やかな光景がここには描かれています。
私が小学生のころ、兄の新居が赤堀にありました。早朝、兄の家へ向かって出かけようと鵜の森公園の南に立った時、一面の黄色い菜畑が遠くまで広がっていたのを思い出します。
松本山への遠足も、むせ返るような香りの菜の花畑の中を歩いた記憶があります。
     
東海道分間絵図より。下を東海道が通ります。右が諏訪神社、左上が鵜森神社です。

8月1日は「朔日恵比寿」

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1日は表参道スワマエの朔日恵比寿でした。

村木さんからは、夏野菜が早朝に届きました。午前中で完売です。

近在の農家の方!ではなくて、近所のYさんが買い求めにきていただきました。

おなじみの皆さんで、会話がはずみます。
今回もSさんが手伝いに入っていただきました。ありがたいことです。感謝です。

第2回 もっとネット活用講座

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四日市商店連合会主催 第2回もっとネット活用講座 ネットとアプリで自由研究 が8月18日午後2時より 文化の諏訪駅で開かれます。
スマホ・タブレット・パソコンを使いこなせず持て余している方、来てみて聞いてみて納得すること間違いなし。ぜひお遊びにお出かけください。

第2回文化の駅サテライトステーション事業

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第2回文化の駅サテライトステーション事業は、「青い山脈」です。
今回の作品、正編と続編に別れていて、公開日を8月17日(金)と24日(金)の2回に分けて上映させていただきます。
当時の昭和24年にも7月19日と26日の2度に分けて公開されています。
戦後直後の、空襲を受けることなかった港町。そこで起きた学校騒動。原節子の美人教師が、民主主義を求めて活躍します。ご期待ください。

大四日市まつり開催

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お酒を控えめにしつつ、四日市商店連合会の甕破り山車は巡航致しました。
     
朝の出発を前に樋口会長と大家実行委員長から本日の注意が述べられました。
「くれぐれも過度の飲酒に留意し、事故のない運行をお願いします。暑い1日になるので、特に健康面には留意願いす。」
こうして長いようで短い1日がはじまりました。

さて、今日の昼食はお涙頂戴ものでしたな、何とうなぎの松岡弁当です。



“張込み”の感想です

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7月27日上映させていただいた「張込み」の感想を掲載させていただきます。
“ 小津安二郎再発見” 以来、皆出席のHさん。今回のその場で感想を書いていただきました。ありがとうございました。

「(この映画を観たのは)何年振りになりますか。1回のみ観た記憶です。内容の筋書き(脚本)も、半分忘れて居りまして、役者さんも、今回再会の感傷気分で懐かしい思いです。 犯人の田村高宏さん。思い出して懐かしかった。スリル満点。あっという間に時間が過ぎていきました。 昭和30年ころの作品。あれから半世紀。早いものです。昔がよみがえりました。ありがとうございました。」


Tさんも皆勤賞です。感想ありがとうございました。
 「今年も「昭和キネマの集い」と銘打って、第2 回名画鑑賞会を開催していただきありがとうございます。 一作目は松本清張原作、野村芳太郎監督、黛敏郎音楽による「張込み」でした。清張作品には犯罪を扱ったモノが多いのですが、人間像が丁寧に優しい目で描かれていますね。 日本が高度成長に向かって突き進み始めた頃の昭和33 年、モノクロならではの味わい深い映像の数々。 特にその雄姿を余す処なく見せてくれた蒸気機関車の迫力や感涙モノでした。また、郷土色豊かな佐賀の夏祭り。手入れの行き届いた山林や田園風景、田舎での葬儀の様子、山岳地帯を縫うように走る汽車やジープ、タクシー、クラシックスタイルの乗り合いバス、風情ある旅館、人々で溢れ返る商店街の賑やかさ等、たくさんのエキストラを動員して存分に楽しませてくれました。 更に、結婚3 年目の高峰秀子が演じた普通の主婦の生活― その身のこなしの軽やかさに目を奪われました( 包丁さばき、雑巾がけ、洗濯物干し、風呂焚き等) 。そして、切れた下駄の鼻緒をすげる際の腰をかがめた姿の優美さ、エプロンの紐の結び目の美しさにも、彼女の女優としての原点を見たような気がしました。 出演者の皆さんの多くはすでに故人となられ、又、佐賀県は今年の集中豪雨では大きな被害を受けました。これらの映像は今や貴重な文化遺産と言っても過言ではないでしょう。 本当に見応えのある作品を、ありがとうございました。」

蜂の巣騒動記

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当店2階の窓にスズメバチが巣を作った。いつの間にかメロン大になっている。巣は急激に大きくなるらしい。
孫がおもちゃのピストルで穴をあける。
     
飛騨高山の酒屋の軒には蜂の巣(?)が飾ってある。これは縁起がいいと喜んでいたら、おっかぁが「通行人が刺されたらどうする、どうする」と興奮している。
しぶしぶタウンページで蜂の巣駆除業者に電話をする。
駆除業者曰く「昼は働き蜂が巣の外に出ているので、皆が戻った夜に作業を行う」とのことだった。寝込みを襲うとは卑怯な奴。
さて、午後7時、軽トラックでやってきた茶髪のアンちゃんは、いたってオトナシそう。まずは巣に殺虫剤を注入する。次に完全防護服に身を固め、そっと巣をつかんで取り外しゴミ袋に入れた。
その後、数十分ほど暮れかかった空を眺めている。
聞くと働き蜂の帰るのを待っているという。夜遊びの蜂がいるのか。
「2〜3日様子を見ていてください。帰ってくる蜂がいるかもしれません」
「帰ってきたら殺虫剤で殺すのですか?」
「知らんふりしていてください。そのうち離れていきます。再び巣を作るようなことがあれば、次回は無料で駆除します」
アフターサービスは万全でアリマス。
翌朝、下を掃除していたら3匹ほどの蜂の死がいがあった。
蜂の巣駆除だけで生計が成り立つのかと問うと「除草作業もやってます」と返事があった。
追記

杉玉は杉の穂先を集めてボール状にしたもの。酒屋が新種ができたことを知らせる役割を持つ。
もとは酒の神様に感謝をささげるものであったそうな。杉玉と蜂の巣は似ても似つかない

今井正監督「青い山脈」

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青森県立弘前高等女学院の教員を経験した石坂洋次郎は、昭和22年朝日新聞に「青い山脈」を連載しました。東北地方の港町を舞台に、若者の男女交際をめぐる騒動をさわやかに描いた青春小説です。
そして昭和24年、今井 正監督は正続二編に分けて「青い山脈」を映画化しました。正編7月19日公開、一週間後の7月26日続編を公開しています。
当時 東宝と松竹が映画化権を争い、結局権利は東宝が獲得しました。この時松竹の監督候補は木下恵介だったそうです。まぼろしとなった木下恵介監督の「青い山脈」は出来ていたらどんなだったでしょうか。
     
     
     
舞台は、空襲の惨禍を受けることのなかった港町。ここの女学校へ島崎雪子(原節子)は教師として東京から赴任してきます。
騒動の発端は、生徒である寺沢新子(杉 葉子)が金谷六助(池部 良)と知り合いになり、このことを知った同級生が学校の権威を傷つけたとして学校に告発します。戦争も終わり新しい民主化運動が起き始めた時代、古い因習の残る町で自由恋愛をめぐって対立が起こることとなるのです。
     
     
     
 教頭、体育教師、地元の権力者である会長に対抗して、島崎雪子、沼田玉雄(校医)扮する龍?一郎、芸者梅太郎(小暮実千代)は、男女交際の自由を主張します。
     
 結末は石坂洋次郎の青春小説らしくハッピーエンドとなりますし、抗争の経過もユーモアも交え明るく爽やかに描かれています。同級生が書いた偽ラブレターに「恋(戀)しい、恋しい」を「変(變)しい、変しい」と間違えて書いた件はあまりにも有名です。
 昭和24年ころは、男女が手をつないで歩くことすら憚られる時代でした。終戦の傷跡が残る暗くなりがちな時代に公開された「青い山脈」は大ヒットとなり、その後、何度も再映画化されています。藤山一郎による歌も国民的歌謡となって歌い継がれてきました。
若くあかるい 歌声に 雪崩は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜 空のはて 今日もわれらの 夢を呼ぶ

8月17日(金)午後6時30分より スワセントラルパーキング2階会議室で上映です。入場無料、是非お越しください。

商店街で盆踊り

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みかんさんからコメントで、今年の盆踊り大会は中止とお伝えしましたが、公園通り商店街が主催で8月17日金曜日の開催が決定したようです。
仮装のど自慢大会が併設のイベントで盆踊り大会は行われます。
申し訳ありませんでした。
時・平成24年8月17日金曜日
処・公園通り(1番街交差点)
内容・盆踊り大会・仮装のどじまん大会
主催・公園通り発展会

四日市サマーナイト

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公園通り主催で8月17日午後4時から、仮装のど自慢大会と盆踊り大会が開催される。
先ほど買い物に寄られた近所の居酒屋さん曰く
「せめて1週間前に知らせていただけたら…」

第2回 文化の駅サテライトステーション事業

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平成24年8月17日、文化の駅サテライトステーション事業 第2回 「青い山脈」を上映させていただきました。
     
今回も会場は満席。感謝です。
「青い山脈」を昭和24年に作った今井正監督は、社会派というか左翼系というか、視点を虐げられた人々にあてて映画づくりをした人です。
「民衆の敵(1946年)」・「青い山脈(1949年)」キネマ旬報2位・「また逢う日まで(1950年)」キネマ旬報1位・「どっこい生きている(1951年)」・「ひめゆりの塔(1953年)」・「にごりえ(1953年)」キネマ旬報1位・「真昼の暗黒(1956年)」・「キクとイサム(1959年)」・「武士道残酷物語(1963年)」ベルリン映画祭グランプリ・「越後つついし親不知(1964年)」・「橋のない川(1969年)」モスクワ国際映画祭ソ連映画人連盟賞・「婉という女(1971年)」など、映画を通した権力批判を展開しました。
今井正版「青い山脈」も、封建的風潮が残る地方の街で、恋愛の自由を主張する島崎雪子(原節子)の民主化運動に焦点をあてて描かれています。
生徒である寺沢新子(杉葉子)は、金谷六助(池部良)と仲良くしているところを級友に知れ、男女交際は学校の名誉を傷つけるものだと告発されます。
二人をかばう島崎は、時にはくじけそうになりながらも、沼田校医(龍崎一郎)や梅太郎(小暮実千代)を味方にして学校側と戦うことになるのです。
こうして、理事会が開かれ公の場で男女交際の是非が討議されることになるのですが、賛否両派に分かれて対策を話し合います。
街のボスである理事長(三島雅夫)は、酔った勢いでチンピラを差し向け沼田を襲わせます。往診に向かう途中、暗いトンネルで暴漢に襲われる校医・沼田の運命やいかに。
不穏な犬のけたたましい鳴き声で、物語の前半は終わります。

第2回 もっとネット活用講座

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8月18日(土)午後2時より、四日市商店連合会主催の、四日市文化の駅メインステーション事業「もっとネット活用講座 第2回 ネットとアプリで自由研究」が開かれました。
今回は前と異なり、新規のお客さまが4名お越しいただき、9名で熱心に勉強を楽しんでいただきました。
インターネットの世界はメモリの進歩とともに膨大な情報量となって、さまざまなアプリケーションを楽しむことができます。
料金の発生する場合もあり気をつけなくてはなりませんが、これを楽しまない方はないとせっせと無料アプリを探す昨今でゴザイマス。
セキュリティのことなど、武藤先生には聞きたいことも多々ありましたが、仕事の都合で早退させていただきました。
次回、9月15日(土)午後2時より、文化の諏訪駅2階で開かれる「第3回 もっとネット活用講座 芸術の秋」でお聞きしたいと思います。
芸術の秋に向けての、文化の諏訪駅にふさわしい、格調高い講習会に大いに期待するところでゴザイマス。
皆さまもお気軽にご参加ください。

“さいごの色街 飛田”

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“さいごの色町 飛田”井上理津子著 筑摩書房刊
     
週刊文春の本屋さん大賞でノンフィクションエッセイの3位に挙げられていた“さいごの色町 飛田”は、大阪西成区に今なお存在する遊郭街を女性ルポライターが12年間にわたって取材を続けたドキュメントです。
遊郭という外部からの取材を拒否する独特な雰囲気のある街に、井上さんが果敢にも乗り込み、聞き取りを続けた記録は大変興味深いものでした。
「大阪の古き良き街を、もっと知りたいんです」
「お宅が飛田のことをどう思ってはるのか分からへんけど、私らはイカンことしてるんやから、書かれては困るんや」
「誰の許可もうて、やっとんじゃ」
「宮城の大学院生やて、研究にとかゆうて勝手に写真撮っとったんや。他人の家の写真を無断で撮って、それで済むと思ったら大間違いや。なぁ、あんたにもわかるやろ」
これは飛田の成り立ちと、売春禁止法が発令された当時の混乱と、莫大なお金が飛び交う繁栄と、衰退期に迫る今日にかかわる、遊郭の経営者、飲食店店主、やくざ、周旋屋、娼妓、呼び込みのおばちゃんなどこの街をめぐる様々な人たちの記録です。
娼妓の人たちは、商品として扱われます。暴力によって高級品らしく仕上げられ、贅沢をさせて借金を作らせ街娼から抜けられないようにします。
客の支払金をごまかす女の子には、殴るけるの制裁を容赦なく加えた。
多くの女の子は「バンス(前借り)持ち」だ。バンスがなくても、飛田の近くのマンションを借りるので、マイナス200万円ほどからスタートさせることが多い。この借金が終わるまでに、宝石、ブランドの服などを買わせ、海外旅行をさせ、「夢と希望」を持たせ、「この店にいるからこそ自分がある」と思うように洗脳していく。借金が減ってくると、ホスト遊びを覚えさせる。それも安いホストクラブではなく、一晩で何十万ものお金を使わせる。
こうして経営者は、商品として拘束していく。
読み進むうち、私は井上さんと飛田の街を取材しているような気持になりました。
最近のインターネットの進歩はすごい。わざわざ出かけなくて飛田の町を見て回ることができます。
     
3年前の飛田 お正月風景 東つきあたりはコンクリートの壁が続く
     
料理店“鯛よし百番”は 大正7年飛田開廓直後に建てられた遊郭がそのまま使われている
最後に井上さんはこう結んでいます。
なお、本書を読んで、飛田に行ってみたいと思う読者がいたとしたら「おやめください」と申し上げたい。客として、お金を落としに行くならいい。そうでなく、物見にならば、行ってほしくない。そこで生きざるを得ない人たちが、ある意味、一生懸命に暮らしている町だから。邪魔をしてはいけない。
四日市にも昭和32年頃までは赤線地帯があった。諏訪公園から西の方角を見渡すと、竜宮城のような建物が建っていたのを、記憶している。
     
辻写真館さんの写真 昭和30年ころの春告園

三丁目の夕日‘64

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三丁目の夕日 64がDVD化されました。そして、だれが何と言おうと泣かされます。
ただただ懐かしい東宝スコープのオープニング。そして、狭い道から表通りへ飛び出すプロペラ飛行機。
     
     
公開が2012年早々(2012年1月21日公開)。東日本大震災を受けて何よりも人と人との絆が強調されていました。
宅間先生のあの一言に感涙です。
     
ひとことだけ 云わせてください
今はみんなが上を目指している時代です
みんなが豊かで 便利な暮らしをしたいと 思っている
医者だって そうだ
みんながなりふり構わず 出世したいと思っている
しかし 彼は それとは違う生き方をしている
私は不思議に思って聞いてみたんです
血気盛んな若者が なぜ出世を望まないのか
彼はうれしいからだと答えた
お金持ちになるより 人の安心する顔を見るほうが 幸せだと
幸せとは 何でしょうね?

市川崑監督作品“おとうと”

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8月24日(金)午後6時30分より、第2回文化の駅サテライトステーション事昭昭和キネマの集い 青い山脈 続編を上映させていただきました。

1週間後の続編上映ということで、どれだけの方にお集まりいただけるか心配でしたが、前回お越しいただけなかった方も数名みえて、会場は満席となりました。外羽理事長と「ありがたいことだ」と話し合った次第です。
後編をじっくり観たのは2回目ですが、結構理屈が多い。原作か監督によるものなのか一度小説を読んでみたくなりました。
     
     
第3回 昭和キネマの集いは、市川 崑監督作品“おとうと”です。(カラー作品)
幸田文の小説を映画化したもので、キネマ旬報1位、毎日映画コンクール日本映画大賞、ブルーリボン賞作品賞に輝いており、1976年には浅茅陽子と郷ひろみで再映画化されています。
この映画は、初の“銀残し”といわれる手法が用いられています。“銀残し”は大正時代の雰囲気を出すためにフィルムの発色部分の銀を残す独特の技法で、この作業により映像の暗部が非常に暗くなり、画面のコントラストが強くなるので引き締まった感じになるのです。
     
小説家の娘であるげん(岸 恵子)は、放蕩者に身を落としている弟、碧郎(川口 浩)の世話を甲斐甲斐しく焼いていました。それというのも、父の後妻である厳格なクリスチャンの義母(田中絹代)が子供たちを冷淡に扱うからでした。
ありとあらゆる遊戯に現を抜かす弟にげんは時に怒り、時に愛情をもって接します。そんな日々の中で、碧郎は肺病を病み再び回復することのない体になっていました。げんは病気が感染することも恐れず、碧郎のそばで生き、その傍らで眠ります弟とおのれの腕をリボンでしっかりと結び付けて。
     
2010年山田洋次監督が、市川崑に捧げて同名映画を撮っていて、二人をリボンで結びつけるなど、いくつかのシーンでオマージュがみられます。この時の姉は吉永小百合、弟役を笑福亭鶴瓶が演じています。
 第3回 文化の駅サテライトステーション事業“昭和キネマの集い”は、平成24年9月28日(金)午後6時30分より。上映時間は1時間40分です。
 ぜひご来場ください。
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