昭和35年7月9日、集中豪雨が四日市の町を襲った。諏訪公園の貯水池が完備してなかった当時は、しばしば町は水入りをした。辻さんはカメラを持って諏訪新道へ赴く。諏訪新道は戦後最も賑やかな通りだった。この道は何時頃からあったのか?
享保時代の絵図。東海道と辻で交わる浜往還。その左が南浜往還になる。もう一つ左に諏訪神社が見受けられ、そこから下へ野道のようなものが伸びている。これが諏訪新道の原型じゃないだろうか?
大正11年になると諏訪軌道と四日市鉄道に寄り添うように、諏訪駅と四日市駅とをつなぐ道路が通っている。諏訪町、沖ノ島、四ツ谷町、本町と真直ぐな道が諏訪神社から四日市駅へと伸びている。