カンバック!昭和商店街38<市役所>
空襲後の航空写真を見てもらった人から、市役所はどこにあるの?といったご質問をいただいた。大正時代は高等女学院(中部東小学校 現 中央小学校に併設)の西にあった。本町の水谷さんからお借りした地図にも載っている。 昭和6年、市役所は現在の諏訪町へ移転した。戦前の地図と空襲後の地図を比べてみると、半円形の市役所前庭が分かる。被災することはなく残った。 戦前 空襲後...
View Articleカンバック!昭和商店街39<公会堂>
昭和10年、日本板硝子四日市工場の千歳町建設が決まる。工業都市四日市の先駆けである。翌11年は千歳町を舞台に“国際振興四日市大博覧会”が開催された歳になる。昭和15年の地図を見ると板硝子の北隣に公会堂が建っている。 会場案内図には、“大會場”その横には“迎賓館”が建つ。これが公会堂だ。まさに、博覧会を意識して造られたに違いない。 四日市公会堂は、昭和25年市役所の西隣へ移築された。...
View Articleカンバック!昭和商店街<諏訪新道1>
昭和35年7月9日、集中豪雨が四日市の町を襲った。諏訪公園の貯水池が完備してなかった当時は、しばしば町は水入りをした。辻さんはカメラを持って諏訪新道へ赴く。諏訪新道は戦後最も賑やかな通りだった。この道は何時頃からあったのか?...
View Articleカンバック!昭和商店街41<諏訪新道2>
本町の水谷氏所有の絵葉書。“四日市市の今昔”樹林社刊より。解説にこうありました。 諏訪新道四日市郵便局電話分室前(沖の島町・大正14年) 大正14年、四日市郵便局電話分室が沖の島(現在の沖ノ島町)に新築移転した記念に撮影したものと思われる。明治40年に完成した諏訪新道が、四日市の賑わいの中心となる前の様子である。...
View Articleカンバック!昭和商店街42<諏訪新道3>
大塚衣料店前から諏訪新道に向かって撮られた写真。竹で編んだかごを持って立っている老人。糠に埋まった卵が入っているのか?国道の向こうに弥生館の看板。“ジャズ娘に栄光あれ”昭和33年1月29日封切り作品で、山本嘉次郎監督、浜村美智子、小泉 博出演となっている。看板の下には小林硝子店、マルセ靴店が並ぶ。歩道は未舗装である。...
View Articleカンバック!昭和商店街43<諏訪新道4>
西(神社前)から、東(三滝通り)へ。名古屋タイムスさんの新聞記事である。再々掲載!非常に良く描けております。 一番東、郵便局の上は、中部東小学校です。
View Articleカンバック!昭和商店街44<諏訪新道5>
森さんからお預かりした写真。昭和41年8月の諏訪新道、港まつりの様子だ(再掲載)。港まつりは、商工会議所の”商品祭”で始まり、諏訪新道には多くの造り物や香具師が出て、賑やかな三日間だった。周辺の商店街も様々な造り物をして競った。祭りが近づくと晩御飯を食べた後、みんなが通りへ出て紙で人形などを作った。昭和30年代の事だ。伊勢湾台風以後、四日市祭りを吸収して”大四日市祭り”となった。...
View Articleカンバック!昭和商店街45<諏訪新道6>
前に、四日市郵便局電話分室が何処にあったのか?という記事を書いた。 左、電話分挽局 四日市の100年に、四日市電話局 諏訪新道 昭和10年という写真が出ていた。「電話分挽局」と比べるとずいぶん立派な建物だ。 この建物が、新道通りの電話局か?...
View Articleカンバック!昭和商店街46<諏訪新道7>
前回ご紹介した昭和28年7月12日発刊の名古屋タイムス“四日市新地図”より。風媒社様よりお送りいただいた資料、再再掲載です。 「望みは高し“水郷ベニス” このドブ川がいつの日か」より 諏訪新道が紹介してあります...
View Articleカンバック!昭和商店街47<謎の広告塔>
諏訪新道に広告放送塔が立っていた。昭和30年代の事で、名古屋タイムスにも「広告放送にぎやか」とある。諏訪新道西から、東京銀行四日市支店角(現 スワセントラルパーキング入り口)・タケコシカバン店前・東海銀行四日市支店西(現 三菱UFJ銀行)・羽田洋品店角そして百五銀行角の5か所である。※追記 1号線三重交通バス停角にもあった。計6か所 い勢屋の広告の向こうに郵便局 タケコシさん前の広告塔...
View Articleカンバック!昭和商店街47<諏訪新道8>
往年の諏訪新道、昭和29年頃。 マップの右上を見ると、京町アーチ、サカエ屋本店、マルエイ、カトウ薬局と並んでいるのが分かる。 少し前の昭和26年。カトウ薬局東隣りに鈴木屋がある。向かい側右、ナゴヤ堂東に岡田屋が建つ。 昭和25年。愛汁屋(妙な屋号だ)喜代志肉店、トミナガ乳母車店、東京銀行と並ぶ。車道の区別がない。拡幅されて間もないころだろう。...
View Articleカンバック!昭和商店街<諏訪新道9>
戦後、道路が拡幅され最も賑やかになった諏訪新道。昭和28年と43年の店舗の並びを比べてみました。 昭和28年諏訪神社前 昭和43年神社前 昭和28年中央部 昭和43年中央部 昭和28年三滝通側 昭和43年三滝通側
View Articleカンバック!昭和商店街51<札ノ辻>
写真集四日市の100年より、雨の南町通り(昭和4年)ビクターの看板の辻を左へ折れると弥生座があった。 増田武夫氏の力作「東海道往来」を見ると、写真は右に“待合 玉川”左に“貸座敷 徳波”の間から北向き“札ノ辻”方向に撮られたものである事が分かる。この先左にあるビクターの看板は“時計貴金属...
View Articleカンバック!昭和商店街51<中町銀座>
札ノ辻から浜往還を東へ、年末大売り出しで賑わう東中町通り(四日市市中町・昭和2年)左側は福引景品引換所。軒下には雪が消え残っている。...
View Articleカンバック!昭和商店街53<札ノ辻2>
四日市の100年より 舗装工事中の札ノ辻(四日市市竪町 昭和13年)当時はコンクリートミキサー車で道路を舗装していた。 昭和11年四日市大博覧会が開催され、四日市西駅が本町方面(北向き)に向かって建てられた当時。札ノ辻の賑わいが、本町へと移りつつあった頃の写真だ。札ノ辻を浜往還沿いに東方向に撮ってある。 上が北です...
View Article閑話休題 タイムマシン! 3月21日は、男の囲炉裏端の集まりでまち歩きがあり、北野保先生と1番街から本町方面へ歩かせていただいた。祭りの練りがどうやって諏訪の踏切の高架ををくぐることが出来たのか?郵便局と電話局の建物は違っていたのかなど、興味あるお話が聞けました。結果は、後日掲載させていただきます。
View Article時空異動機の冒険①表参道スワマエ
3月25日月曜日午後4時32分、閑静な商店街 表参道スワマエに突如としてタイムマシンが出現した。折悪しく居合わせた“すわまえ食堂”のご主人は、その時の衝撃をこのように語っている。「ビックリしたなぁ もぅ!」 タイムマシンは着地の瞬間に地表で小さな爆発を起こし、カラー舗装の一部を採取して、そのまま立ち去ろうとしたが、マシンの状態が悪かったのか約150メーターほど機体を引きずってTag...
View Article時空移動号の冒険②表参道スワマエ2
時空移動号が再び現れた。昨日の事である。すわまえ食堂のご主人が先日と同じ場所で、同じ格好で立っていると、すさまじい振動と共にマシンが現れ、先日の男とは異なる人物が立っていた。今度の男は足がやや短い。彼は緑...
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